事の始まりは1989年のサディスティック・ミカ・バンドの再結成である。 ミカ・バンド再結成の経緯は割愛するが、結果としてはこれが大成功であった。CDは売れまくりライヴも満員。商業的にはまったく文句の付けようがなかった。一方、1980年代終盤より発生したハウスミュージックと新しいテクノ・ムーヴメントの中でYMOの評価が高まり、雨後の竹の子のごとくリミックスアルバムが発売され再結成への気運が高まりを見せていた。東芝EMIの営業部門がこの流れを見逃すわけはなく、マネージメントベースでは90年初めよりYMO再結成に向けた準備は進んでいたようである。当時はバブル全盛期で、松任谷由美の「天国のドア」が記録的な枚数を売るなどして東芝EMIもイケイケゴーゴーな雰囲気だったのだ。というわけで、EMIから高橋幸宏を経由して細野晴臣へ再結成の打診がなされるのだが、この二人はもともとYMOには未練たらたらだから即