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ピクトリアリズムに関するfotokiddieのブックマーク (2)

  • ピクトリアリズムとは何だったのか

    ピクトリアリズム(絵画主義写真)という呼び方は、その技術や美学に関する19世紀の最も影響力のある著作のひとつである、ヘンリー・ピーチ・ロビンソン(1830–1901)の "Pictorial Effect in Photography"(1869年)に由来する。ロビンソンは芸術としての写真と、さまざまな科学的、記録的目的のための写真とを分離することを主眼としていた。同時代のイギリスの写真家ピーター・ヘンリー・エマーソン(1856–1936)もまた単なる客観性ではなく、個人的な表現を重視した写真を模索していた。彼の作品は、主に風景を撮影し、自然の中の雰囲気を再現することを目的としていた。しかし、ピクトリアリズムが普及し始めたのは、1900年代初頭のことだった。これは、初期のコダック社製スナップショットカメラの登場と、アメリカの著名な写真家であるアルフレッド・スティーグリッツ(1864–194

    ピクトリアリズムとは何だったのか
    fotokiddie
    fotokiddie 2021/08/01
    という呼び方は、その技術や美学に関する19世紀の最も影響力のある著作のひとつである、ヘンリー・ピーチ・ロビンソン(1830–1901)の "Pictorial Effect in Photography"(1869年)に由来する。
  • ピクトリアリズムからストレート写真への回帰

    写真術が生まれて間もなくソフトフォーカスが流行り始めた。後にピクトリアリズム(絵画主義写真)と呼ばれるようになったのだが、ふたつの理由があった。写真は芸術かという論争を経て、後期印象派の真似をして芸術らしくしようした。それからディテール描写への拒否という感覚から流行したものだ。その旗手は米国ではアルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)そして日では野島康三(1889-1964)だった。しかし後年ふたりともストレート写真へ回帰した。1910年から1930年代前半までは、米国の東海岸ではピクトリアリズムが主流だった。後期印象派の絵画を模倣することが目的で、紗やガーゼを使って被写体を撮影し、意図的に画像をぼかしてソフトフォーカス効果を出していた。しかし西海岸では1930年代から写真が絵画の模倣ではなく、独立した芸術として発展してゆく。そのひとりアンセル・アダムス(1902–1984)

    ピクトリアリズムからストレート写真への回帰
    fotokiddie
    fotokiddie 2021/03/23
    の旗手は米国ではアルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)、日本では野島康三(1889-1964)だった。しかし後年、ふたりともストレート写真への回帰した。
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