写真術が生まれて間もなくソフトフォーカスが流行り始めた。後にピクトリアリズム(絵画主義写真)と呼ばれるようになったのだが、ふたつの理由があった。写真は芸術かという論争を経て、後期印象派の真似をして芸術らしくしようした。それからディテール描写への拒否という感覚から流行したものだ。その旗手は米国ではアルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)そして日本では野島康三(1889-1964)だった。しかし後年ふたりともストレート写真へ回帰した。1910年から1930年代前半までは、米国の東海岸ではピクトリアリズムが主流だった。後期印象派の絵画を模倣することが目的で、紗やガーゼを使って被写体を撮影し、意図的に画像をぼかしてソフトフォーカス効果を出していた。しかし西海岸では1930年代から写真が絵画の模倣ではなく、独立した芸術として発展してゆく。そのひとりアンセル・アダムス(1902–1984)