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写真少年漂流記と大恐慌に関するfotokiddieのブックマーク (2)

  • 砂嵐の避難民と強制収容された日系人を記録した写真家ドロシア・ラング

    Members of the Mochida family awaiting evacuation bus, Hayward, California, 1942 ドロシア・ラングは、彼女の言葉を借りれば「視覚的な生活」を送っていたので、当の意味で自然な写真家だったと言えるだろう。風になびく洗濯物や、しわだらけで働きづめの老いた手、パンの施しを受ける失業者の列、バスターミナルの人々の群れなど、何かを見て、それを美しいと感じることができた。その目はカメラのレンズであり、カメラは彼女の言葉を借りれば「身体の付属品」であった。晩年の病気のとき、友人がベッドのそばに座っていると、突然「あなたを撮影したわ」と言ったという。少女時代から数十年にわたって、このカメラを使わない写真撮影に取り組んでおり、それは彼女の美術教育の基礎であり、最初の修行の場でもあったのである。学校に幻滅した彼女は、よく授業をサボ

    砂嵐の避難民と強制収容された日系人を記録した写真家ドロシア・ラング
    fotokiddie
    fotokiddie 2021/11/03
    は真珠湾攻撃の後、家から強制収容所に送られ日系人本人家族の悲痛な写真を撮り始めた。彼女は、日本人の血が流れているという理由だけで、何かしたわけでもないのに政府が人を監禁することに嫌悪感を抱いていた。
  • 大恐慌時代をドキュメントした写真家ラッセル・リー

    Child of farmer sitting in automobile waiting for father, Jarreau, Louisiana, 1938 ラッセル・リーの初期の作品には、人間の窮状や社会経済的な力学に対する感受性と、写真の持つ独特の表現力が反映されており、フランクリン・ルーズベルト米大統領(1882–1945)が大恐慌を克服するために行った、ニューディール政策の一環であった FSAプロジェクト(Farm Security Administration=農業安定局)の有能な人材となった。FSA は1937年までは Resettlement Administration と呼ばれていた。その情報部門の責任者であるロイ・ストライカー(1893-1975)は、大恐慌時に農村や小さな町の窮状を広報することで、連邦政府の支援策への支持を集めるため、写真家と契約した。FSAに

    大恐慌時代をドキュメントした写真家ラッセル・リー
    fotokiddie
    fotokiddie 2021/10/16
    の初期の作品には、人間の窮状や社会経済的な力学に対する感受性と、写真の持つ独特の表現力が反映されており、彼はニューディール政策の一環であったアメリカの FSAの魅力的な人材となった。
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