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2010年3月6日のブックマーク (3件)

  • 夢 時 間

    No.781の続き ……遠近法に基づく立体的な絵が描けずに、よくも、まあ、それで立体迷路のを作ろうなどと持ちかけたものです。トネ氏はデザインといっても、マッチとか平面的なものしかやっていなかったようでした。ことに致命的なのが人物。あれこれ写真資料も渡したのですけれど、できあがってきたのは、黒こげのできそこないの地蔵さまみたいなシロモノで、どうしても人間に見えません。氏が10歳近く上(確かワタクシが20代後半で氏が30代後半だった)なこともあり、シツレーのないようあれこれお願いしたものです。ヘキチにある氏の自宅に指定時間に打ち合わせに行ったら外出中で、5時間待たされたあげく「これから夕なのです」と言われ、30分ほど打ち合わせして帰ってきたりなんてこともありました。懐かしくもない思い出です。氏は、悪気があるわけではなく、どうも基的に天然の部分があるらしいのです。ハタから見ていればオモシ

    fou
    fou 2010/03/06
    「魔城の迷宮」製作秘話その2。
  • 夢 時 間

    fou
    fou 2010/03/06
    「魔城の迷宮」製作秘話その1。
  • 死のう団事件 - Wikipedia

    死のう団事件(しのうだんじけん)は、1930年代に法華教系統の新宗教「日蓮会」の青年部「日蓮会殉教衆青年党」(通称「死のう団」)を巡って発生した、一連の騒擾事件。 1933年7月2日に、集団で「死のう死のう」と叫びながら行進して逮捕されたことに端を発したもの。当初、「死のう団事件」は、この事件のことを指していた。しかし約3年半のちの1937年2月17日、彼らのうち5名が国会議事堂など5ヶ所で割腹を図る事件が発生するに及び、一層大きな衝撃を社会に与えた。そのため、この割腹事件をもって「死のう団事件」と称することが多い。 なお、事件当時の漢字、仮名表記に従えば「死なう團事件」となるが、項では常用漢字、現代仮名遣いで「死のう団事件」とする(日史上の有名な事件をまとめた書籍の一部には「死なう団」の表記もある)。 日蓮会は、東京府荏原郡蒲田村出身の江川桜堂、名江川忠治(1905年 - 1938

    死のう団事件 - Wikipedia
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    fou 2010/03/06