今日は知る人ぞ知る、鎌倉の秘境中の秘境です。 秘境と言っても、人里離れたところではありません。 人里のなかに誰も知らない秘境がある、だから鎌倉は好きです。 八幡宮の裏山の山腹には、その東側にかけて鎌倉の街を睥睨するように、鎌倉幕府の創業者である源頼朝とその協力者であった大江広元の墓が今もひっそりとたたずんでいました。 そして大江広元の墓の両脇には、その後の日本史を揺るがす大勢力の島津と毛利の先祖の墓がありました。 そしてもうひとり、死してこの山腹から今も鎌倉の街を見下ろしている大人物がいます。 北条義時です。 北条義時は鎌倉幕府の2代目の執権として頼朝亡き後の幕府を背後から操った人物。北条政子の弟です。 頼朝が死んだ後の鎌倉幕府の実権は、将軍ではなく、政子と義時の姉弟が握っていました。 比類ない権謀家で大政治家。ライバルとなる御家人たちを次々に蹴落とし、源家将軍が断絶した後の北条一族による