太史公曰、學者多言無鬼神、然言有物。至如留侯所見老父予書、亦可怪矣。高祖離困者數矣、而留侯常有功力焉、豈可謂非天乎?上曰「夫運籌筴帷帳之中、決勝千里外、吾不如子房。」余以為其人計魁梧奇偉、至見其圖、状貌如婦人好女。蓋孔子曰「以貌取人、失之子羽。」留侯亦云。 (『史記』巻五十五、留侯世家) かの漢の三傑と呼ばれた高祖の臣、張良。 彼の容貌は「婦人好女の如し」つまり見目麗しい女性のようであった、と伝えられていたらしい。 留侯張良者、其先韓人也。大父開地、相韓昭侯・宣惠王・襄哀王。父平、相釐王・悼惠王。悼惠王二十三年、平卒。卒二十歳、秦滅韓。良年少、未宦事韓。韓破、良家僮三百人、弟死不葬、悉以家財求客刺秦王、為韓報仇、以大父・父五世相韓故。 (『史記』巻五十五、留侯世家) さて、張良の年齢であるが、ここからわかることが幾つかある。 まず、父が死んで20年後に彼らの故国である韓が秦に滅ぼされた、と