この物語は非常に美しい。 嫌味や皮肉でそう言っているのではなく、無残絵の残酷美にも通底する美しさが全編に渡り緻密に練り込まれていると、そう感じた。 ジャック・ケッチャムやフランク・ヘネンロッターのような、偏差値貧乏な残酷さを「不謹慎」と断じるならば、本作『ブラッドハーレーの馬車』はその「不謹慎」の一歩先を行っている。過剰では決してないが、計算され尽くした暗黒がそこにぽっかりと口を開けている。 本作は第一話から最終話まで、徹底して救いのない残酷劇として一貫させている。肉体的に、精神的に、或いは常識を、壊せるものはどんどん壊そうという勢いで、文字通りに肉体が破壊されたり精神が破壊されたりと、グラン・ギニョールさながらに描写される。 そして、それら残酷劇の主人公たるは孤児院で育った少女たちなのだ。壊され、犯され、滅されてゆくのは年端もいかぬ少女たち。ここに作者の強大な恣意性を感じる。恣意
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