美術の概念を文学に子規の俳句と言えば「写生」のイメージが強いですね。子規の写生論は美術の概念を取り入れたものです。子規が西洋美術の写生、いわゆるスケッチの概念を知ったのは明治27(1894)年。知人の画家中村不折に教わりました。 写生散歩子規は、この年の秋の終わりから冬の初めにかけて、手帳と鉛筆を持って毎日のように根岸郊外を散歩し、句想を得ては手帳に書き付けました。当時のことをこう振り返っています。 「写生的の妙味は此時に始めてわかつた様な心持ちがして毎日得る所の十句二十句位な獲物は平凡な句が多いけれども何となく厭味がなくて垢抜がした様に思ふて自分ながら嬉しかつた」(獺祭書屋俳句帖上巻) 写生と俳句の相性の良さを実感した子規は、この概念を核の一つとして俳句革新につなげていきました。俳句で写生の有用性を確認した子規は短歌や文章にも写生の概念を持ち込み、それぞれの近代化を押し進めたのでした。