中3のとき、わたしの祖父がガンで死にました。生まれてはじめてお葬式に出ました。親族みんなで集まって、学校を堂々と休み、久しぶりに会ったいとこと遊ぶ、わたしにとって祖父のお葬式はおもしろいイベントのひとつでした。 自分もいつか歳をとって死ぬということに、全くリアリティーを感じていなかったからでしょう。若いときは「人生はかぎりがある」ということを頭ではわかっていても実感はありません。 その後何回もお葬式に出ました。さすがに、おもしろいイベントと感じることはなくなりました。しかし、死を実感することもありませんでした。自分には直接関係ない他人の不幸をおおっぴらにのぞける、という後ろめたいばかみたいな楽しさもあったくらいです。30代後半までは、わたしに残された時間は「無限」とは言えないまでも十分すぎるくらいあるように感じていました。 自分の未来の人生に十分な時間があるということは、自分の可能性もまた