タグ

中島飛行機に関するfriend99のブックマーク (4)

  • ゼロ戦(零戦)の水上機

    ゼロ戦(零戦)の水上機 1号水上戦闘機、2号水上戦闘機が、それにあたります。 (1号が試作機、2号が正式採用機(昭和17年7月)) ゼロ戦(零戦)を水上機に改造したもの、 あるいは、ゼロ戦(零戦)の水上機仕様というべきものでしょうか? この開発(改造?・仕様変更)は、 中島飛行機(後の富士重工)によって行われました。 中島飛行機は、ゼロ戦の生産を行っていましたし、 水上機の開発・生産にも経験が深かったからです。 水上戦闘機の開発のきっかけは、 南方作戦を遂行するのに、優れた水上戦闘機が必要になったからです。 南方の島々に飛行場を建設するには、 多くの時間、費用、技術が必要となります。 それならば、海から離着陸できる水上機を開発した方が良い、 という考えでした。 そこで、海軍は、昭和15年に、水上戦闘機の採用を決め、 川西飛行機に、その開発を命じました。 これが、15試水上戦闘機(強風)でし

    ゼロ戦(零戦)の水上機
    friend99
    friend99 2014/07/23
    水上戦闘機の開発のきっかけは、 南方作戦を遂行するのに、優れた水上戦闘機が必要になったからです。
  • ゼロ戦(零戦)は機体を前後で分割式

    ゼロ戦(零戦)は機体を前後で分割式 ゼロ戦(零戦)は、主翼とコクピットの前半分と、 その後ろの部分の2つに分割できました。 これは、貨車などの陸上移送の容易さ、 組立も容易になるので生産性もよくなりますし、 現地での整備性もよいなどの、多くのメリットがあります。 飛行機の機体をいくつかのパートに分けてつくり、(社内・社外ふくめて) 最後に組み合わせて完成させるのは、今では普通のことですが、 このはじまりは、日だったのです。 これを最初に行ったのは、中島飛行機で、 機体は、陸軍の97式戦闘機でした。 しかし。これが広く世界に知られたのは、 中島飛行機の陸軍の97式戦闘機ではなく、 三菱が設計した(中島は生産はしましたが)、 ゼロ戦(零戦)だったのです。

    ゼロ戦(零戦)は機体を前後で分割式
    friend99
    friend99 2014/07/22
    ゼロ戦(零戦)は、主翼とコクピットの前半分と、その後ろの部分の2つに分割できました。これは・・・
  • ゼロ戦(零戦)試作機(12試艦上戦闘機)の完成・初飛行はいつ?

    ゼロ戦(零戦)試作機(12試艦上戦闘機)の 完成・初飛行はいつ? ゼロ戦(零戦)試作機の、12試艦上戦闘機は、 昭和14年3月16日に、その1号機が完成しました。 (実物大模型は、昭和13年4月) (場所は、名古屋航空機製作所) 2日後の、3月18日に、地上での運転が行われ、 エンジン、プロペラ、計器類のチェックがなされました。 昭和14年4月1日、岐阜県の各務原で、地上滑走試験の後、 高度10メートルで、約500メートルの初飛行となりました。 この時のパイロットは、 三菱のテストパイロットの志摩勝三操縦士。 12試艦上戦闘機は、三菱と中島飛行機の競争試作でしたが、 中島飛行機が脱落したために、途中から三菱の単独試作になったためでした。

    ゼロ戦(零戦)試作機(12試艦上戦闘機)の完成・初飛行はいつ?
    friend99
    friend99 2014/07/20
    ゼロ戦(零戦)試作機の、12試艦上戦闘機は、 昭和14年3月16日に、その1号機が完成しました。4月1日から岐阜県の各務原で・・・
  • ゼロ戦(零戦)の試作機(12試艦上戦闘機)の性能要求は・・・

    ゼロ戦(零戦)の試作機(12試艦上戦闘機)の 性能要求は・・・ 当時、海軍機は、性能計画に基づいて、複数の会社に競争をさせて、 優れた結果を出した会社のものを正式化していました。 皇紀2596年(昭和11年)に正式採用された、96式艦上戦闘機の次期モデルとして、 より高性能な艦上戦闘機の計画をしていました。 そして、昭和12年、12試艦上戦闘機(後のゼロ戦(零戦))という名の試作機が、 三菱と中島飛行機(後の富士重工)の2社で、競争試作となったのです。 そのときの、海軍からの計画要求書の内容は、 1、最大速度は、高度4000メートルで、270ノット(時速500km)以上 2、上昇力は、高度3000メートルまで、3分以内 3、航続力は、正規状態全力で、1.2時間(1時間12分)以上 過過重時(増設燃料タンク装備)で、1.5時間(1時間30分)以上 500カイリ進出して30分の空戦が可能なこと

    ゼロ戦(零戦)の試作機(12試艦上戦闘機)の性能要求は・・・
    friend99
    friend99 2014/07/19
    昭和12年、12試艦上戦闘機(後のゼロ戦(零戦))という名の試作機が、 三菱と中島飛行機(後の富士重工)の2社で、競争試作となったのです。 そのときの、海軍からの計画要求書の内容は・・・
  • 1