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ブックマーク / zerosen00.seesaa.net (21)

  • ゼロ戦(零戦)の主翼の上のペイントの意味は?

    ゼロ戦(零戦)の主翼の上のペイントの意味は? 「ここを踏むな」「ここに乗るな」という意味です。 翼の上に人が乗る?という疑問が出るかもしれませんが、 実際に、翼の上に人が乗ることは多くあります。 先ず、給油>のときコクピット(操縦席)の整備のとき。 これも主翼の付け根付近に乗って作業をすることになります。 そして、パイロットが搭乗するとき。 主翼に足をかけて乗り込むことになります。 それらのときに、人が乗ると壊れるところ、強度が弱いところを 踏まないように、目印としてペイントがされていました。 フラップや補助翼などの可動部が、それにあたります。 また、ゼロ戦(零戦)は、軽量化のために、フレームに穴を空けたり、 必要強度ギリギリまで薄くしている箇所も多くあります。 そういうところを踏んでしまって破損しないように、 「ここを踏むな」という意味のペイントです。 また、補助翼や昇降舵に、 「サワル

    ゼロ戦(零戦)の主翼の上のペイントの意味は?
    friend99
    friend99 2014/09/06
    「ここを踏むな」「ここに乗るな」という意味です。 翼の上に人が乗る?という疑問が出るかもしれませんが、 実際に、翼の上に人が乗ることは多くあります。 先ず・・・
  • ゼロ戦(零戦)の主脚もショックアブソーバーの技術に貢献

    ゼロ戦(零戦)の主脚も ショックアブソーバーの技術に貢献 ショックアブソーバー(緩衝装置)は、 車やバイクのサスペンションシステムをはじめ、 機械には欠かせない装置です。 今の、ショックアブソーバー(緩衝装置)の完成度、 品質、性能は、素晴らしいものがありますが、 これも、長い年月の間に、要求される課題を一つ一つ、 解決してきた結果です。 ゼロ戦(零戦)に話を戻しますと、 (ゼロ戦(零戦)に限ったことではありませんが、) 飛行場の滑走路が、すべて舗装されていたわけではなく、 だだ、木を切り草を刈って、整地されただけ、 という飛行場も多くありました。 整地といっても、真っ平ではありません。 そんなところで、離着陸をするのですから、 主脚が受ける衝撃は相当なものです。 特に着陸時にはなおさらです。 初期の頃は、油圧なら油漏れ、空気圧なら空気漏れなど、 ショックアブソーバー(緩衝装置)の故障は多

    ゼロ戦(零戦)の主脚もショックアブソーバーの技術に貢献
    friend99
    friend99 2014/08/23
    飛行場の滑走路が、すべて舗装されていたわけではなく、 だだ、木を切り草を刈って、整地されただけ、 という飛行場も多くありました。 整地といっても、真っ平ではありません・・・
  • ゼロ戦(零戦)の操縦席は360度の視界

    ゼロ戦(零戦)の操縦席は360度の視界 セロ戦は、機体の上に風防を乗せたようなデザイン。 機体から出た頭の上に、お椀をかぶせるように風防が取り付けられています。 空気抵抗を考えた形状をしているとはいえ、 機体の出っ張りには違いなく、 空気抵抗の見地からすれば、マイナス要因ですが、 この360度の視界は、空中戦の際には、とても役立ちます。 ただ、この視界の良さは、防御、特に後ろからの防御を、 非常に危ういものにしていたのも事実です。 軽量化のために、操縦性の向上のために、 座席の装甲がないだけでなく、 そのフレームにも、穴を空けていたくらいでしたし・・・ ちなみに、ゼロ戦の風防は、いくつかの鉄枠があり、 そこにカラスを、はめ込んでいました。 しかし、同年代のアメリカ機は、 鉄枠のないワンピース構造。 これは、当時では、大変な技術で、 当時の日には、まだそこまでの技術力はありませんでした。

    ゼロ戦(零戦)の操縦席は360度の視界
    friend99
    friend99 2014/08/20
    セロ戦は、機体の上に風防を乗せたようなデザイン。 機体から出た頭の上に、お椀をかぶせるように風防が取り付けられています。
  • ゼロ戦(零戦)主脚格納の様子 【YouTube動画】

    ゼロ戦(零戦)主脚格納の様子 左右の主脚の格納が同時でなく、片方が少し遅れるところが、 逆にカッコよく見えてしまう・・・ それにしても、隙間なく主翼にピタリと格納させる技術がすごいなぁ

    ゼロ戦(零戦)主脚格納の様子 【YouTube動画】
  • ゼロ戦(零戦)の主脚は格納できないトラブルも・・・

    ゼロ戦(零戦)の主脚は格納できないトラブルも・・・ ゼロ戦(零戦)の主脚は離陸後、油圧よって主翼に格納されます。 ゼロ戦(零戦)主脚格納の様子 しかし、当時(特に初期の頃)、この油圧系統にはトラブルも多く、 主脚が格納できないことも、よくあったそうです。 主脚が出たままだと、スピードや戦闘も十分にできませんし、 飛行中に壊れるリスクもあります。 このため、離陸後、主脚が格納できない機体のパイロットは、 そのまま基地に戻されたことも、多々あったそうです。 ところで、パイロットは、どうやって主脚の格納を確認したのか? 一つは、コクピット内のランプで。 左側のスロットルレバーの下に小さなランプがあって、 ランプの色が青なら、脚が出ている状態 ランプの色が赤なら、脚が格納されている状態 格納装置を操作して、赤ランプにならなければ、 主脚は格納されていないことになります。 脚の格納時で赤、脚が出て青

    ゼロ戦(零戦)の主脚は格納できないトラブルも・・・
    friend99
    friend99 2014/08/17
    ゼロ戦(零戦)の主脚は離陸後、油圧よって主翼に格納されます。 しかし、当時(特に初期の頃)、この油圧系統にはトラブルも多く、 主脚が格納できないことも、よくあったそうです。
  • ゼロ戦(零戦)の増槽タンク容量は?

    ゼロ戦(零戦)の増槽タンク容量は? 航続距離をさらに伸ばすために、ゼロ戦の機体下に取り付けられる、 ティアドロップ型の増槽燃料タンク。 この増槽燃料タンクも、型式によって容量が違っていました。 11、21型では、330リットル 32、22、52甲、52乙型では、320リットル 素材は、来、ジュラルミン製でしたが、 52甲型の後期以降になると、木製となりました。 増槽燃料タンクは、落下増槽タンクとも呼ばれ、 戦闘時には切り離すのですが、 時々、落ちないこともあったそうです。 落下の確認のために、操縦席下にはガラスの小窓がありましたが、 パイロットは、増槽タンクを落とすと、 機体が明らかに軽くなることで、わかったそうです。

    ゼロ戦(零戦)の増槽タンク容量は?
    friend99
    friend99 2014/08/13
    増槽燃料タンクも、型式によって容量が違っていました。 11、21型では・・・
  • ゼロ戦(零戦)の燃料タンク容量は?

    ゼロ戦(零戦)の燃料タンク容量は? ゼロ戦(零式艦上戦闘機)のサイズが、 型式によって異なるように、 燃料タンク容量も、型式によって違っていました。 11型、21型では、525リットル 32型では、480リットル 32型後期型では、両翼内に10リットルずつ増設して、500リットル 22型では、左右の外翼内にも45リットルずつ増設して、570リットル 52型では、570リットル 52乙型では、ブースト用の水・アルコール60リットル搭載で、500リットル 11、21、22型の主翼(全幅)は、12メートル 32、52型の主翼(全幅)は、11メートル ここからさらに、機体下に増槽タンクをつけて、 航続距離を伸ばすことを考えられていたのですから、 空母から発艦して攻撃することよりも、 基地から遠くの攻撃目標まで飛ぶことを意図していたようです。 海軍からの性能要求も、 高度3000メートル、フルパワー

    ゼロ戦(零戦)の燃料タンク容量は?
  • ゼロ戦(零戦)のテスト飛行の陸上移送は牛車

    ゼロ戦のテスト飛行の陸上移送は牛車 ゼロ戦(零戦)の試作機(12試艦上戦闘機)のテスト飛行は、 岐阜県の各務原。 開発、組立が行われた、三菱の名古屋航空機製作所には、 隣接した飛行場がなかったからです。 そのため、名古屋から各務原まで陸上移送が行われたのですが、 移送手段は、トラックではなく「牛車」でした。 理由は、振動や衝撃が少ないから。 当時の道路状況やトラックは、 今では考えられないほどに、揺れやショックが酷かったのです。 移送は、もちろん夜間。 機体は2つに分割 して運ばれ、各務原で組立られました。

    ゼロ戦(零戦)のテスト飛行の陸上移送は牛車
  • 「ラバウル型」複座式ゼロ戦

    「ラバウル型」複座式ゼロ戦(零戦) ラバウル基地(パプアニューギニア)では、 破損機の部品を集めて複座式のゼロ戦(零戦)をつくり 偵察機として使っていました。 国内の工場ではなく、遠く離れた南方の基地。 設備も工具も資材も、決して十分ではなかったはずです。 そんな状況で、破損機の部品で、 飛べる飛行機をつくってしまうのですから、相当な技術力です。 日の工業力、技術力が、どれだけ高かったのか・・・ 現在、東京上野の、国立科学博物館で、 実物を見ることができます。

    「ラバウル型」複座式ゼロ戦
    friend99
    friend99 2014/08/06
    ラバウル基地(パプアニューギニア)では、 破損機の部品を集めて複座式のゼロ戦(零戦)をつくり 偵察機として使っていました。
  • 複座式(2人乗り)のゼロ戦(零戦)

    複座式(2人乗り)のゼロ戦(零戦) もちろん実戦用ではなく、複座の練習機です。 たた、練習機として一から開発されたものではなく、 21型のゼロ戦を改造設計してつくられたものです。 改造設計が始まったのが、昭和17年なので、 最初の名前は、「17試練習用戦闘機」。 1号機の完成は、翌年の昭和18年でした。 武装は、胴体の、7.7ミリ機銃2門のみ。 もちろん、前席、後席のどちらからでも操縦できました。 この21型改の練習機は、複座としたことで、 重量が、1819kgと、実戦機よりも139kg増えましたが、 全備重量は、武装が減った分、76kg減って、2334kg。 最大速度は、高度4000メートルで、 257ノット(時速476km)。 戦闘機として、十分に速いです。 このゼロ戦(零戦)21型改の練習機が正式採用されたのが、 昭和19年3月。 「零式練習用戦闘機11型」と名付けられました。 (練

    複座式(2人乗り)のゼロ戦(零戦)
    friend99
    friend99 2014/07/26
    もちろん実戦用ではなく、複座の練習機です。 たた、練習機として一から開発されたものではなく、 21型のゼロ戦を改造設計してつくられたものです
  • ゼロ戦(零戦)の水上機

    ゼロ戦(零戦)の水上機 1号水上戦闘機、2号水上戦闘機が、それにあたります。 (1号が試作機、2号が正式採用機(昭和17年7月)) ゼロ戦(零戦)を水上機に改造したもの、 あるいは、ゼロ戦(零戦)の水上機仕様というべきものでしょうか? この開発(改造?・仕様変更)は、 中島飛行機(後の富士重工)によって行われました。 中島飛行機は、ゼロ戦の生産を行っていましたし、 水上機の開発・生産にも経験が深かったからです。 水上戦闘機の開発のきっかけは、 南方作戦を遂行するのに、優れた水上戦闘機が必要になったからです。 南方の島々に飛行場を建設するには、 多くの時間、費用、技術が必要となります。 それならば、海から離着陸できる水上機を開発した方が良い、 という考えでした。 そこで、海軍は、昭和15年に、水上戦闘機の採用を決め、 川西飛行機に、その開発を命じました。 これが、15試水上戦闘機(強風)でし

    ゼロ戦(零戦)の水上機
    friend99
    friend99 2014/07/23
    水上戦闘機の開発のきっかけは、 南方作戦を遂行するのに、優れた水上戦闘機が必要になったからです。
  • ゼロ戦(零戦)は機体を前後で分割式

    ゼロ戦(零戦)は機体を前後で分割式 ゼロ戦(零戦)は、主翼とコクピットの前半分と、 その後ろの部分の2つに分割できました。 これは、貨車などの陸上移送の容易さ、 組立も容易になるので生産性もよくなりますし、 現地での整備性もよいなどの、多くのメリットがあります。 飛行機の機体をいくつかのパートに分けてつくり、(社内・社外ふくめて) 最後に組み合わせて完成させるのは、今では普通のことですが、 このはじまりは、日だったのです。 これを最初に行ったのは、中島飛行機で、 機体は、陸軍の97式戦闘機でした。 しかし。これが広く世界に知られたのは、 中島飛行機の陸軍の97式戦闘機ではなく、 三菱が設計した(中島は生産はしましたが)、 ゼロ戦(零戦)だったのです。

    ゼロ戦(零戦)は機体を前後で分割式
    friend99
    friend99 2014/07/22
    ゼロ戦(零戦)は、主翼とコクピットの前半分と、その後ろの部分の2つに分割できました。これは・・・
  • ゼロ戦(零戦)の主翼の長さ・大きさは?

    ゼロ戦(零戦)の主翼の長さ・大きさは? ゼロ戦(零戦)の主翼の長さと形は、型式によって異なります。 11型、21型、22型では、 全幅12メートル、面積22.44平方メートル。 32型では、 全幅11メートル、面積21.53平方メートル。 52型以降では、 全幅11メートル、面積21.30平方メートル。 身近な例でいうと、ほぼワンルームマンションの面積です。 さて、この翼の面積ですが、大きいほど運動性能が良くなります。 旋回性が良くなり、離陸、着陸が容易になります。 逆に言えば、空気抵抗が増えますので、 高速域では抵抗となり、スピードが出しにくくなります。 また、攻撃時に大切な急降下性能も不利になります。 ちなみに、飛行機の重さを主翼の面積で割ったものを、 「翼面荷重」といい、(翼1平方メートルで何kg背負っているか) この数字が低いほど運動性能が優れています。 アクロバット飛行や、狭い空

    ゼロ戦(零戦)の主翼の長さ・大きさは?
    friend99
    friend99 2014/07/21
    ゼロ戦(零戦)の主翼の長さと形は、型式によって異なります。 11型、21型、22型では、 全幅12メートル、面積22.44平方メートル。 32型では、 全幅11メートル、面積21.53平方メートル。 52型以降では・・・
  • ゼロ戦(零戦)の機体フレームは穴だらけ

    ゼロ戦(零戦)の機体フレームは穴だらけ 穴はもちろん軽量化のため。 これまでの戦闘機(96式艦上戦闘機)よりも、 スピードも旋回力も高くするという相反する要求に応えるためです。 部材の設計段階から、ここの穴はもう少し大きくできないか? ここにもう一つ穴を空けられないか? と、1グラム単位の軽量化への努力が行われたのです。 自動車レースやオートバイレースでも、 穴を空けることは、軽量化(=戦闘力アップ)は常套手段ですが、 同時に、強度の低下(=耐久性・信頼性の低下)のリスクも負います。 だから、常に強度計算も欠かせません。 穴を大きくしたり、穴を追加すると、 また強度計算をし直す必要があります。 コンピューターもCADもない時代、 一つの穴を空ける、1グラム軽くするということは、 大変な作業だったのです。

    ゼロ戦(零戦)の機体フレームは穴だらけ
    friend99
    friend99 2014/07/21
    穴はもちろん軽量化のため。 これまでの戦闘機(96式艦上戦闘機)よりも、 スピードも旋回力も高くするという相反する要求に応えるためです。
  • ゼロ戦(零戦)の重さは?

    ゼロ戦(零戦)の重さは? ゼロ戦(零戦)の試作機の、12試艦上戦闘機の、 機体体の重量は、1652kg ほぼ同じ大きさの陸軍機と比べ20%の軽量化を果たしていました。 燃料や機銃などの武器・弾薬を搭載しても、全装備重量は、2331kg 海軍からの厳しい要求である、 スピードと戦闘能力(旋回能力)の両方を満たすための結果でした。 当時の軍用機の部材の強度規定は、1.8倍。 現在の1.5倍にくらべて、かなりの安全マージンをとっていたのです。 しかし、部材や場所によっては、 そこまでの強度を必要としないものもあります。 そうして、1グラム単位での軽量化が行われました。 その結果、 ゼロ戦(零戦)11型の全備重量は、2339kg 32型では、全備重量2644kg 32型では、主翼が短くなり、 全幅も12メートルから11メートルに狭まったので、 機体は、その分軽くなったはずですが、 エンジンが変わ

    ゼロ戦(零戦)の重さは?
    friend99
    friend99 2014/07/21
    ゼロ戦(零戦)の試作機の、12試艦上戦闘機の、 機体本体の重量は、1652kg。ゼロ戦(零戦)11型の全備重量は・・・
  • ゼロ戦(零戦)の大きさは?

    ゼロ戦(零戦)の大きさは? ゼロ戦(零戦)の大きさ(サイズ)は、どれも同じではなく、 型式によって違います。 試作機の12試艦上戦闘機は、全幅12メートル・全長8.79メートル 零式艦上戦闘機になっての、 11型、21型は、全幅12メートル・全長9.05メートル 22型では、全幅12メートル・9.06メートル 試作機(プロトタイプモデル)よりも、若干長くなっています。 32型になると、全幅11メートル・全長9.06メートル 52型以降は、全幅11メートル・全長9.121メートル 幅が、1メートル短くなったのは、 艦載機として、空母に搭載しやすくするためでしょうか? (単純に考えれば主翼が短くなるので性能は?という疑問もでますが・・・) 全高は、どの型式も、 前輪を出しての水平状態で、3.509メートル 前輪と尾翼と着地させた駐機状態で、3.593メートル 駐機状態では、0.84メートル(8

    ゼロ戦(零戦)の大きさは?
    friend99
    friend99 2014/07/20
    ゼロ戦(零戦)の大きさ(サイズ)は、どれも同じではなく、 型式によって違います
  • ゼロ戦(零戦)試作機(12試艦上戦闘機)の完成・初飛行はいつ?

    ゼロ戦(零戦)試作機(12試艦上戦闘機)の 完成・初飛行はいつ? ゼロ戦(零戦)試作機の、12試艦上戦闘機は、 昭和14年3月16日に、その1号機が完成しました。 (実物大模型は、昭和13年4月) (場所は、名古屋航空機製作所) 2日後の、3月18日に、地上での運転が行われ、 エンジン、プロペラ、計器類のチェックがなされました。 昭和14年4月1日、岐阜県の各務原で、地上滑走試験の後、 高度10メートルで、約500メートルの初飛行となりました。 この時のパイロットは、 三菱のテストパイロットの志摩勝三操縦士。 12試艦上戦闘機は、三菱と中島飛行機の競争試作でしたが、 中島飛行機が脱落したために、途中から三菱の単独試作になったためでした。

    ゼロ戦(零戦)試作機(12試艦上戦闘機)の完成・初飛行はいつ?
    friend99
    friend99 2014/07/20
    ゼロ戦(零戦)試作機の、12試艦上戦闘機は、 昭和14年3月16日に、その1号機が完成しました。4月1日から岐阜県の各務原で・・・
  • ゼロ戦(零戦)の試作機(12試艦上戦闘機)の性能要求は・・・

    ゼロ戦(零戦)の試作機(12試艦上戦闘機)の 性能要求は・・・ 当時、海軍機は、性能計画に基づいて、複数の会社に競争をさせて、 優れた結果を出した会社のものを正式化していました。 皇紀2596年(昭和11年)に正式採用された、96式艦上戦闘機の次期モデルとして、 より高性能な艦上戦闘機の計画をしていました。 そして、昭和12年、12試艦上戦闘機(後のゼロ戦(零戦))という名の試作機が、 三菱と中島飛行機(後の富士重工)の2社で、競争試作となったのです。 そのときの、海軍からの計画要求書の内容は、 1、最大速度は、高度4000メートルで、270ノット(時速500km)以上 2、上昇力は、高度3000メートルまで、3分以内 3、航続力は、正規状態全力で、1.2時間(1時間12分)以上 過過重時(増設燃料タンク装備)で、1.5時間(1時間30分)以上 500カイリ進出して30分の空戦が可能なこと

    ゼロ戦(零戦)の試作機(12試艦上戦闘機)の性能要求は・・・
    friend99
    friend99 2014/07/19
    昭和12年、12試艦上戦闘機(後のゼロ戦(零戦))という名の試作機が、 三菱と中島飛行機(後の富士重工)の2社で、競争試作となったのです。 そのときの、海軍からの計画要求書の内容は・・・
  • ゼロ戦(零戦)という名前(名称)は何故?

    ゼロ戦(零戦)という名前(名称)は何故? ゼロ戦(零戦)というのは、零式艦上戦闘機の略。 では、なぜ「ゼロ(零)」なのか? それは、ゼロ戦(零戦)が制式採用されたのが、 皇紀2600年(1940年・昭和15年)だったから。 当時、軍用機は、採用年の下2ケタを名称に使っていました。 皇紀2596年(昭和11年)に正式採用されたのは、96式艦上戦闘機。 ○○年式って、今でもクルマやバイクで使いますよね。 F-1やモトGPでも使っているし、カッコいいです、が・・・ 年式が名前だと、相手国に、その戦闘力がまるわかりだし、 何年も前の年式が、前線に出ていくようでは、その戦闘機の性能だけでなく、 技術力、開発力、海軍力、国力まで、相手に伝わってしまいますよね。 なので、皇紀2601年(昭和16年)の、 1式艦上戦闘機は、「隼」という別名がつけられました。 でも、こうした名前をつけるという制度化が間に合

    ゼロ戦(零戦)という名前(名称)は何故?
    friend99
    friend99 2014/07/19
    ゼロ戦(零戦)というのは、零式艦上戦闘機の略。 では、なぜ「ゼロ(零)」なのか? それは・・・
  • ゼロ戦の正式名称は?

    ゼロ戦の正式名称は? 「ゼロ戦」の正式な名称は、零式艦上戦闘機です。 「艦上」、つまり船(航空母艦)の艦載機。 陸軍機でなく、海軍機(今なら、海上自衛隊)ですね。 そして、「ゼロ」ではなく、「零(れい)」(零戦)でした。 これは、戦時中は、「ゼロ」は英語なので、 敵性語は使わないということで、「零(れい)」と呼んでいたのです。 (勝ち負けに何の関係もないのに・・・) つまり、「ゼロ戦」は、終戦後から使われた名称なのです。 また、戦後になってから、アメリカをはじめとする連合国から、 「ゼロファイター」(ファイターは戦闘機という意味)と呼ばれていたことも、 広く知られるようになったのも、その理由の一つです。

    ゼロ戦の正式名称は?
    friend99
    friend99 2014/07/19
    「ゼロ戦」の正式な名称は、零式艦上戦闘機です。 「艦上」、つまり船(航空母艦)の艦載機・・・