ゼロ戦(零戦)の水上機 1号水上戦闘機、2号水上戦闘機が、それにあたります。 (1号が試作機、2号が正式採用機(昭和17年7月)) ゼロ戦(零戦)を水上機に改造したもの、 あるいは、ゼロ戦(零戦)の水上機仕様というべきものでしょうか? この開発(改造?・仕様変更)は、 中島飛行機(後の富士重工)によって行われました。 中島飛行機は、ゼロ戦の生産を行っていましたし、 水上機の開発・生産にも経験が深かったからです。 水上戦闘機の開発のきっかけは、 南方作戦を遂行するのに、優れた水上戦闘機が必要になったからです。 南方の島々に飛行場を建設するには、 多くの時間、費用、技術が必要となります。 それならば、海から離着陸できる水上機を開発した方が良い、 という考えでした。 そこで、海軍は、昭和15年に、水上戦闘機の採用を決め、 川西飛行機に、その開発を命じました。 これが、15試水上戦闘機(強風)でし