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こ・考察といじめに関するfrog78のブックマーク (4)

  • いじめの無くし方 島国大和のド畜生

    いじめに関するエントリをあちこちで見かけたので思うところを書く。 http://fragments.g.hatena.ne.jp/chanbara/20080817/1218985397 http://diary.lylyco.com/2008/08/post_144.html http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20080928/1222578859 いじめ(苛め)は、群れを作る動物のサガだと思うが、こと学校教育レベルでは、無くすことが可能だと思っている。 以下、私的な考えだが、今、この瞬間、問題を抱える人も居るかも知れないので何かの足しになればと、文章に纏めてみた。 レジュメ ・いじめとは何か ・なぜ学校でのいじめは問題になるか。 ・どうすれば、いじめを無くせるか。 ・いじめの関係者へ ・いじめとは何か 人間に限らず、ある種の動物は群れを作る。 群れにはヒエラ

  • 「適応ゲーム」としての「いじめ」 - 殿下執務室2.0 β1

    やや今更観があるが、このネタに関してのエントリをメモ書き程度に。 ・痛いニュース(ノ∀`):【福岡・中2自殺】 「あいつ死んで、せいせいした」 いじめ集団、自殺生徒の葬儀で笑いながら何度も棺をのぞきこむ ・関連(かな?):「壁の中」から-過剰適応の症状としての暴力――「〈野宿者襲撃〉論」生田武志・1 ・関連もいっちょ:404 Blog Not Found:社会あるところにイジメあり 恐らく、「いじめ」というのは、「適応ゲーム」と言い換えることが可能なのかな、と思う。 要するに、「適応者」が自らの適応度を主張するエネルギーの過剰が、それに相対するものを「非適応」と看做して排除する行動が、一定の娯楽性をもって「適応者」に認識されることが「いじめ」という現象になる、ということだろう(勿論「非適応」とレッテルを貼られた生徒がどの程度非適応的かは主観であり、要するに能力値のレーダーが正多角形から遠い

  • 偏差値の高い学校に行くとイジメが少なくなる理由 - りとすら

    それは『スクールカースト/いじめがない学校は偏差値が高い』という法則だ。 といっても、偏差値に反比例してスクールカーストが薄くなっていくのではない。 全国トップクラスの私立校*1、都道府県でトップの公立高校などは明確なスクールカーストがなく、いじめも非常に少ない。 おまえ灘でもないのに見てきたように言うな!と怒られるかもしれない。ごめんなさい。 僕の学校は桐朋でしたが*1、イジメありました。スクールカーストも存在してた。無くなることは無いけれど。 外部性の有無、みたいなもんじゃないかな。目標があり、風通しがよければ、いじめがシステム化しない。 外部性というか、将来ビジョンの共有が生徒の中でできているか、ってことでしょうね。それは逆に風通しは悪いのですが。 現実的な話で言うと。 高偏差値の学校に行くと勉強して大学受験をするのが基だという風潮が先輩(中高一貫校だと6年間の厚み!)、先生、両親

    偏差値の高い学校に行くとイジメが少なくなる理由 - りとすら
  • 「あの人は叩かれて当然」という発想は,「いじめ」と同構造なのではないか - 諏訪耕平の研究メモ

    http://d.hatena.ne.jp/koheko/20080726/p2 このエントリ,なんとなくもやもやしてたわけですが, http://fragments.g.hatena.ne.jp/TakahashiMasaki/20080729/1217337205 これを読んで少し正体が分かったような気がします。 つまり,「あの人は○○だから叩かれて当然」というような考え方が,僕は好きではないということなんですね。 最近僕はいじめがなぜ起きるのかずっと考えています。僕自身小5から中2頃までいじめを受けていました。その結果,僕には小4以前の記憶があまりないんですね。そこに安易に因果関係を求めていいものかどうかはよく分かりませんが,ちょっと他の理由は今のところ思い浮かばない。つまり,小5に入っていじめられ始めた結果,当時の僕は,それ以前の自分を否定したのではないかということです。 先日僕が

    「あの人は叩かれて当然」という発想は,「いじめ」と同構造なのではないか - 諏訪耕平の研究メモ
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