知覚の哲学入門 待望の知覚の哲学の教科書が翻訳された。 とりあえず読んだんだけど、思ったより難しく、流し読みだけでは未消化だった。 とりあえず最初読んでよくわからなかったあたりを整理していこう。 3章副詞説のところで、クオリア説に親和的な副詞説と、そうではない副詞説があるという話が出てくる。ここは結構難しく、最初読んだときはちんぷんかんぷんだった。まず、クオリア説自体がどういう立場かわかりにくい上に、現象的性格と現前的性格の区別も難しい。 なんでこの箇所が難しいかというと、普通クオリアは「赤さの感じ」みたいなものだと説明されるけど、この本の説明では赤さの感じという言葉が出てこないのもある。 まず、以下の二つが区別されている(pp. 26-27)。 現前的性格[presentational character] 知覚ないし内観において私たちが気づく[aware]もの。クオリア説の支持者が「ク