ブックマーク / shirooo305.hatenablog.com (9)

  • 『恋する小惑星』のEDについて - Paradism

    感傷が染みわたるような映像と楽曲。物想いに耽る少女たちの表情を一枚一枚切り取り、じっくりと見せていく構成には情感がたっぷりと乗っていました。1話を観てもみらとあおの関係性が物語の軸になっているのは間違いないのだと思いますが、その物語の中で出会うことになるそれぞれの少女たちの物語までも微かに匂わせてくれていたのがとても良いなと感じます。そして、多くのカットが “少女がなにかを見つめる” ことへフォーカスを当てたものであったことはきっと意図的で、そこには作にとってとても切実な意味があったのだと思います。 それはこういったカットでも同様でした。ストラップをつつき、見つめるあお。暗がりの部屋の中で屈むその姿は、それこそ作中でも描かれたように奥手になってしまった彼女の心模様を写し込んでいるようでした。しかし、その光景とは対照的なあおの優しい視線、月灯りが差し込むことで生まれるビジュアルの質感変化は

    『恋する小惑星』のEDについて - Paradism
  • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』10話の演出について - Paradism

    振り返れば強烈なファーストカットだったと思わずにはいられない枯れ木のイメージショット。以降、度々インサートされる落ち葉のモチーフは小説『最後の一葉』を連想させ、余命幾ばくもない母親の現状を静かに捉えていました。なにより、落ち葉でおままごとをしていた娘のアンもきっとそのことには心のどこかで気づいていて、編中でも描かれていたようにだからこそ母との残された時間をなんとか掬い上げようとしていたのかも知れません。この物語はそんな子供ながらに繊細な少女の心と、その足が明日への一歩を踏み出す瞬間を非常に丁寧に積み重ね、描いた挿話でした。 それこそアバンからして、そういった物語の方向性は顕著でした。アンがヴァイオレットに対して抱いた「凄く大きなお人形が来た」という最初の印象を刻み込むためカットバックで彼女の容姿を数度に渡り切り取った意味は大きく、その不吉さも含め、アンの視点に立ったカットの運びとモノロー

    『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』10話の演出について - Paradism
  • 『ぼくたちは勉強ができない』OPについて - Paradism

    静かな朝から始まるオープニングフィルム。静寂な曲調の中に織り交ぜられるフェティッシュなカットが非常に素敵で堪りませんでした。女性特有のシルエットに含まれる艶美さと可愛らしさ。それだけでもグッと引き付けられてしまう魅力に溢れていますが、撮影の良さ・見せたいところを強調した動かし方の他にオーバーラップを使った少しミステリアスなカッティングであったことは強くフィルムの良さに影響を与えていたと思います。 曲調が替わりそれぞれが登校、弾けるように駆け出していくカットも全身を映すのではなく足元など映える局部を映していたのが印象的で、その後の映像を観ても女性の可愛らしさを活かしたショットが基軸にあったことはおそらくこのオープニングにおける統一のテーマになっていたのでしょう。 もちろん、局部だけではなく繰り返し映されたそれぞれのヒロインの表情変化もまた可愛らしさを描くことに注力した結果であったはずです。楽

    『ぼくたちは勉強ができない』OPについて - Paradism
  • テレビアニメOP10選 2018 - Paradism

    今年もこの企画に参加させて頂きます。放映季順、他順不同、他意はありません。敬称略含む。視聴した作品からのみの選出で、選出基準はいつもと同様 「とにかく好きなOP」 です。 宇宙よりも遠い場所 / The Girls Are Alright! 回転し、動き出すフレームを物語の幕開けに据えた作の根幹とも言える映像。散りばめられた兆しと少女たちの笑顔が弾けるよう描かれていく流れには、つい頬が綻んでしまいます。撮影も相まったエモーショナルな絵も多い一方で、自撮り風な女子高生らしさも顔を覗かせるのがポイント。感傷と友情の欠片を丁寧に、劇的に織り込んだまさに作品の代名詞足るフィルムになっていたと思います。 恋は雨上がりのように / ノスタルジックレインフォール タイトルバックの波紋に始まり、雨上がりのコンセプトで構成されていたであろう映像美。淡い色調にビビットな色味が重なりとても可愛らしい画面になっ

    テレビアニメOP10選 2018 - Paradism
  • 劇場版『若おかみは小学生!』の芝居・身体性について - Paradism

    表情変化や歩き芝居に始まり、抱き寄せる芝居、ものを運ぶ芝居、屈む芝居、掃除をする芝居など、おおよそ生活の中で見られるであろうアニメーションを徹底して描き出した今作。日々人が営む中で起こす動きを描くというのは非常に難しいことですが、それを終始高いレベルでここまで快活に描いていたことにとても驚かされました。加えて、そういった数多くの芝居が物語に寄与していたものは計り知れず、鑑賞後はこの作品が劇場アニメとしてのスケールでTV版とは別に作られた意味を思い知らされたようでした。*1 なぜなら、両親を失くし、祖母に引き取られた先で若女将として経験を積んでいく主人公のおっこがその過程で見せた懸命さも、失敗も、時に見せる子供らしい表情もその全てがとても生き生きと表現されていたからです。着物のシルエットや姿勢、いわゆるフォルムとその動かし方や、それらを内包した生活アニメーションの巧さは前述した通り当に素晴

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  • 『ヤマノススメ サードシーズン』2話の演出について - Paradism

    *1 特徴的で可愛らしい表情、フォルム、皺のニュアンス、デフォルメ。挙げれば切りがないほどに素敵な作画を見せてくれた話でしたが、少しアンニュイな空気を抱えた今回の話にとっては、あおいの心情に寄り添った演出がとても良い補助線を引いていて話に引き込まれる大きな要因の一つになっていました。 中でも特に良いなと感じたのはカメラワークで、かえでさんに登山の購入を薦められるシーンなどでの演出は前述したような心情への寄り添いがとても顕著でした。かえでさんの話に聞き入るようぐっと前へカメラが動いても良さそう*2な場面ですが、このカットでは少しずつ引いていくようにカメラがT.Bしているのが分かります。「登山、 やっぱり必要ですかね?」と後ろ向きな声色であおいが聞き返したように、カメラが下がっていくことが、おそらくはあおいの気持ちが “登山” から遠ざかっていたことへ同調していたのでしょう。登山が趣味

    『ヤマノススメ サードシーズン』2話の演出について - Paradism
  • 『リズと青い鳥』鎧塚みぞれの仕草、掴むことについて - Paradism

    みぞれが髪を掴む仕草が描かれたのは、劇中でおそらく12回程*1だったでしょうか。寡黙にして映像*2で語ることが主体とされた作にあって、彼女のこの癖は強く印象に残り、決して多くを語ろうとはしないみぞれ自身の感情を映すものとして重要な役割を果たしていました。足や手の芝居、瞼、眼球の動きにまで心情の変遷・動きを仮託していた今作ですが、冒頭から終盤まで物語の転換点となる場面で描かれたこの癖はその中でも特に強調されていたように思います。 ただその仕草が具体的にどういった感情を代弁していたのか、ということまではハッキリとは分からず、むしろその描き分けはぼんやりと感情の輪郭を描くに過ぎませんでした。なにかを言い淀むように髪に触れ、掴み、心の中に留める仕草。それは明確な心情が芝居から滲み出る類のものではなく、“なにかしらの感情・言葉を心の内側に抱いている” と感じ取ることが出来るだけの芝居であり、そんな

    『リズと青い鳥』鎧塚みぞれの仕草、掴むことについて - Paradism
  • 『宇宙よりも遠い場所』5話の演出について - Paradism

    南極へ旅立つマリの話から一転、めぐみの心情を多分に含んだ話へとシームレスに変遷する物語とフィルムの構成。すっと上手が入れ替わり、話の主体がマリからめぐみへと変化していたことをカット単位で寡黙に伝えてくれる巧さに心がざわつきました。二人の関係と向き合うことを強要するような横の構図がもたらす印象はとても強烈で、対立的。なによりゲーム機のコードをわざと引っかけたことや前話のCパート、遡れば意味深だったこれまでの彼女への映し方なども含め、今回の話はそうして彼女が溜め込んでいたものを直接的に映すことへ余り躊躇 (ためら) いがありませんでした。 淀みを含んだ感情。それを覆う壁。押し流すことが出来ない心の弱さ。フレーム内フレームで閉ざされた空間にめぐみを映したのも意図的で、マリとの距離感を感じさせる上、そこから想起されるものはやはり作の代名詞とも呼べるあの水たまりのカットに他なりません。それは普段の

    『宇宙よりも遠い場所』5話の演出について - Paradism
  • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』7話のバレットタイムと添えた手の描写について - Paradism

    *1 ヴァイオレットが湖へ向け飛び立つと同時に始まるスローモーション。オスカーにとってその一瞬が永遠にも感じられる特別なものであることが描かれたワンシーンでしたが、彼女が浮かぶ木の葉へ降り立つことを契機に始まるバレットタイムは、その “瞬間” を美しく、掛けがえのないものとして切り取る役目を強く果たしていて、とても印象的でした。 そしてそれは、娘のオリビアが父に交わした「いつか、きっと」の約束と、その実現を果たしたからこそ意味を帯びる映像表現であるのと同時に、オスカーの目に映った時間の流れと、その光景に抱いた彼自身の言葉に出来ない感情の高鳴りを鮮明に描写した演出でもあったのだと思います。 そこから娘との思い出がフラッシュバックしていくのもだからこそです。オスカーにとってはもう二度と見ることの叶わないと思っていた光景であったはずですが、それでも心の隅に留め、待ち望んだ光景でもあったからこそ、

    『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』7話のバレットタイムと添えた手の描写について - Paradism
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