タグ

ブックマーク / mandanatsusin.cocolog-nifty.com (5)

  • アニメ対ジャパニメーション - 漫棚通信ブログ版

    先日ツイッターで、ある日アニメーション関係者の主張を読みました。 彼によると、 ジャパニメーションの語源は「放映権はおろか編集権まで売り払った」マクロスやオーガス等のアニメを米国がメチャクチャに編集し台詞も変えたモノを観た日語の解る日のアニメ好き米国ファンが「コレは僕達が知ってるアニメじゃ無い「ジャパニメーション」だ」です ジャパニメーションは米国発祥の「差別語」です 語源は差別語だし、ソレを尊敬語と誤訳して日中にばら撒いたのも「単なる無知」でしょう? このかたは「ジャパニメーション」という言葉が、もともと差別語として発祥したという主張をされています。 ただしその根拠については言及されていません。そこが残念なのですが、かつて彼に似た主張をしていたひとに岡田斗司夫がいます。 ●岡田斗司夫「日文化としてのアニメ」(キネマ旬報1995年10月上旬号掲載) リンク先の文章によりますと、

    アニメ対ジャパニメーション - 漫棚通信ブログ版
  • 梶原一騎の「小説」は「原作原稿」そのものだ! - 漫棚通信ブログ版

    2008年、すべて消失したと思われていた『あしたのジョー』の梶原一騎による自筆原作原稿が、連載一回分だけですが発見されました。これはNHKニュースで放送されたから、おぼえてるひとも多いかも。 「文藝別冊 総特集ちばてつや」(2011年河出書房新社、1200円+税、amazon)に、夏目房之介「『あしたのジョー』原作に見る作家ちばてつや」という文章が寄稿されています。 マンガの原作原稿は後世に残らない。(略)例外的に残ったものの一つが梶原一騎・ながやす巧『愛と誠』(1973~1976年)で、ながやすがそのすべてを保存し、梶原夫人・高森篤子さんのもとに返却されたと聞く。(略) 実は、ちばてつやも『あしたのジョー』(1968~1973年)原作を保存していた。ちば人から聞いた話だが、あるとき雨漏りで水濡れしてしまい、捨ててしまったと話していた。が、一話だけの原稿が残っている。戦後マンガ史に残る『

    梶原一騎の「小説」は「原作原稿」そのものだ! - 漫棚通信ブログ版
  • 静かな静かな傑作『アランの戦争』 - 漫棚通信ブログ版

    国書刊行会から刊行されてるモノクロBDのシリーズもすでに三冊目。 ●エマニュエル・ギベール『アランの戦争 アラン・イングラム・コープの回想録』(2011年国書刊行会、2500円+税、amazon、bk1) 出版社よりご恵投いただきました。ありがとうございます。 著者エマニュエル・ギベールと親交のあったアラン・イングラム・コープという実在の人物、彼の回想録をマンガ化したものです。アラン・コープは書が描かれつつある途中、1999年に亡くなっています。 書は、おそらく日人が初めて出会うタイプの作品。びっくりした驚いた。マンガでこのような内容が描けるとは。いつも言ってますが、すぐれた海外マンガってわたしたちにとってつくづく“黒船”ですねえ。 アラン・コープはアメリカ人。1943年に徴兵され、2年間の訓練の後、1945年第二次大戦末期のヨーロッパ戦線に向かいます。 書は三部構成で、第一部はア

    静かな静かな傑作『アランの戦争』 - 漫棚通信ブログ版
  • 手塚先生吼える - 漫棚通信ブログ版

    手塚治虫が他のマンガ家や評論家について書いた、しんらつな文章のかずかず。 ●手塚治虫への弔辞(「話の特集」1966年10月号) ・だいたいマンガ批評家はおとなが多すぎる。その批評たるや、ノスタルジーか、もしくは“自分が好きだからほめる”調のものである。 ・ボクにいわせれば、白土三平氏や赤塚不二夫氏や、水木しげる氏を推賞する一部批評家ごとき、なんにもわかっちゃいない連中だと思う。あの作家達は優秀な作品を生んでいるには違いないが、それは現時点での評価であって、あと五年後にはどうなっているかわからない。そんなおとなに限って、手のひらをかえしたように、「ああ、そんな作家も、いたっけねえ」というだろう。 ・かつておとなにかなり高く評価されたマンガ家が、相次いでの上から消えていった。福井英一(イガグリくん)、武内つなよし(赤胴鈴之助)、前谷惟光(ロボット三等兵)、堀江卓(矢車剣之助)、うしおそうじ(

    手塚先生吼える - 漫棚通信ブログ版
  • 過剰な『鈴木先生』 - 漫棚通信ブログ版

    いやー、武富健治『鈴木先生』2巻(2007年双葉社、819円+税)読んでて、何にびっくりしたかというと、裏カバーソデの作者紹介。 まず、これが1巻の作者紹介↓。 昭和45年8月21日生。獅子座O型。佐賀生まれ、主に東京育ち。幼少時よりメジャー漫画家を目指しオリジナル漫画を製作するが、10代半ばより「文芸漫画」を模索。大学在学中にいくつかの新人賞で佳作などに入賞するが掲載には至らず、中山乃梨子氏のアシスタントを務める。母校の中学校で教育実習を体験。卒業後、投稿活動を続ける傍ら、個人サークル「胡蝶社」を旗揚げし同人活動を開始。『掃除当番』『蟲愛づる姫君』などを発表。27歳時に『屋根の上の魔女』で商業誌デビュー。その後高田靖彦氏のアシスタントを務めながら一年に1のペースで『シャイ子との虫』などの短編を数編発表するも読み切り短編『鈴木先生』の案が通らず精神的疲労から休筆。『まんぼう』で2年ぶり

    過剰な『鈴木先生』 - 漫棚通信ブログ版
  • 1