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2010年3月25日のブックマーク (2件)

  • フェミニズムと臨床(4/6) | 東京の心理カウンセリング|斎藤学メッセージ

    2018年1月23日 斎藤学(家族機能研究所) 上野さんには、この会を非常に実りあるものにしてくれるような質問を出していただきまして、ありがたく思っています。早速、最初のご質間からとりかかっていこうと思います。 臨床については、さっき言ったように「ヴァリュー・フリー」とよく言うのですが、これは例えば殺人を犯した男の殺人行為を含む行為について、法律家がそれに対して考えるような考え方をしないというぐらいの意味です。臨床家は人に対してそのようにかかわることが期待されています。 フロイディズムがこの現象に含まれる限り、いつでもフロイディアンの考え方が1つの価値をもって、足を引っぱるだろうというお話でしたが、私はフロイトの影響は、そんなに強いものではないだろうと思っています。臨床という言葉を「サイコセラピー」に限れば、たしかにフロイトはその源流といっていいのですけれども、「臨床」といった場合、一方で

  • 『あれは自分ではなかったか―グループホーム虐待致死事件を考える』 - hituziのブログじゃがー

    きのう、ねるまえに『閉鎖病棟』という小説を よもうと おもったのですが、ひょっこり よみかけで放置していた下村恵美子(しもむら・えみこ)/高口光子(たかぐち・みつこ)/三好春樹(みよし・はるき)『あれは自分ではなかったか―グループホーム虐待致死事件を考える』ブリコラージュが でてきました。 今年の読書を ふりかえると、いくつか すばらしい であいが ありました。なかでも、『ケアという思想―ケア その思想と実践 1』収録の 三好春樹「ブリコラージュとしてのケア」に すばらしく感動しました。 三好さんのは、『ウンコ・ シッコの介護学』は もっていましたので、すこし意識していたのですが、「ブリコラージュとしてのケア」は、ほんとうに よく まとまっていて 衝撃的だったのでした。 それ以来、三好さんのを あれこれ よんでいますし、三好さんが発行している『月刊ブリコラージュ』も購読しています。それ

    『あれは自分ではなかったか―グループホーム虐待致死事件を考える』 - hituziのブログじゃがー