格差社会という言葉がファッション化して以来、フリーターやらニートやらという連中は格差社会の負け犬である、同情すべき連中である、とういうような空気になってきました。ぼくはこれに違和感を感じます。 フリーターという言葉が出てきた、あるいはそのような生き方が社会的に認知されてきたのは、ぼくらが学校を卒業する前後ぐらいからサラリーマンをやっていた20代の末ぐらいと記憶しております。 で、当時メディアの多くはフリーターは会社に縛られない新しい生き方である、てな取り上げ方をしておりました。 社畜と呼ばれるような、親の世代のように会社に滅私奉公するよりは遙かに人間的であるというわけです。勤め先から正社員にならないか、といわれてもそれを拒んでフリーターを続ける人物を肯定的にとらえた、テレビ番組やら雑誌の記事が多くありました。 ですが、フリーターを続けていては賃金は上がらないし、生涯賃金は低いというのは解っ