2019年12月2日のブックマーク (4件)

  • 囲碁・依田紀基九段 日本棋院への不信感訴える…不戦敗強要され「命の危険感じる精神状況」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

    名人4期などタイトル通算36期の実績を誇る、囲碁の依田紀基九段(53)が31日、都内で記者会見を実施。今年6月に開催された公式戦「フマキラー囲碁マスターズカップ」の準決勝で不戦敗を強要されたなどとし、所属する日棋院の、理事長を務める小林覚九段(60)ら執行部への不信感を訴えた。 【写真】メガネ女子で登場の菫ちゃん 男性棋士に4連勝 新星誕生に沸く囲碁界だが… 会見前にはしきりに深呼吸を繰り返し、必死に心を落ち着かせていた依田九段。不戦敗については、まず準決勝の前々日、小林理事長から「(対局場の)広島には来ない方がいい」などと対局辞退を勧められたと告白した。対局前日には広島市内で、協賛のフマキラー株式会社・大下俊明会長や小林理事長と会談。その場で不戦敗を申し渡されたが、日棋院からは依田九段が自ら不戦敗を選んだと発表されたという。 結果としてフマキラー社は、今年限りで大会スポンサーから撤退

    囲碁・依田紀基九段 日本棋院への不信感訴える…不戦敗強要され「命の危険感じる精神状況」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
    fujiriko59
    fujiriko59 2019/12/02
    こんなことになっていたのか
  • エレベーターで「開」押す親切、でも無言 変じゃない?:朝日新聞デジタル

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    エレベーターで「開」押す親切、でも無言 変じゃない?:朝日新聞デジタル
    fujiriko59
    fujiriko59 2019/12/02
    無言社会。エレベーターはともかく、電車で殴り合ってるおじさんたち見ると、殴りかかる前にちょっと声をかけようよと思うけど、まあ日本だと難しいね
  • 仲邑菫初段「日中天才少女対決」3番勝負初戦敗れる - 社会 : 日刊スポーツ

    囲碁の最年少プロ、仲邑菫(なかむら・すみれ)初段(10)が2日、中国の福建省福州市で呉依銘(ご・いめい)二段(12)と「女子囲碁超新星招待戦」の3番勝負の第1局に臨んだ。日中の天才少女対の初戦は、白番の仲邑が219手までで中押しで敗れた。 仲邑は、日棋院が世界で戦える棋士を育成するために新設した「英才枠」で今年4月に史上最年少の10歳0カ月でプロ入りした。呉は昨夏、11歳でプロ試験に合格し、仲邑と同様に中国で「天才少女」と呼ばれている。 終局後、仲邑は涙を必死にこらえ、悔しさのあまり、コメントをすることはできなかった。呉は「序盤はまずまずで、少し打ちやすいと思いました。タネ石の2目(下辺)を取って、はっきり良くなったと思います」とコメントした。 今回の3番勝負は女子世界戦の第2回呉清源杯とあわせて行われ、中国側からのオファーを日棋院が受諾し、「日中天才少女対決」が実現した。両者は8月、

    仲邑菫初段「日中天才少女対決」3番勝負初戦敗れる - 社会 : 日刊スポーツ
  • 最高に居心地のよかったアパートで、精神と肉体が少しずつやられていった頃の話|渡海奈穂

    初めて自力で部屋を借りたのは、小説家としてデビューして数年経った頃。 デザインの専門学校を卒業後、なぜか小説家になって、そこそこ定期的に単行も出してもらって、数年で「まあ、一人でもやって行けるだろう」と割と無計画に実家を出て上京した。 実家は埼玉で、一時間もあれば都内に出られるし、そもそも仕事の打ち合わせは電話がメインで、原稿は宅配とメールでやり取りできるし、いちいち編集者と会う用事もない。 でも家を出たくなったのは、小説家という仕事に対して父親の理解がさっぱりなかったり、隣の家の騒音が凄まじくストレスのせいで気が狂いそうだったり、同人活動をしているからコミケ会場に近い方が楽だったりしたので。 一番大きな理由は、仲のよかった友達の家が東京にあって、しょっちゅう遊びに行ったり、泊まったりしていたから、帰るのが面倒になってしまったせいだったかもしれない。 なので、その友達の家の近くに越すこと

    最高に居心地のよかったアパートで、精神と肉体が少しずつやられていった頃の話|渡海奈穂