タグ

ブックマーク / piano-fire.hatenablog.jp (2)

  • 「ゼロ年代の想像力」にかこつけて今更劇エヴァを語ってみる - ピアノ・ファイア

    mixi日記からの転載です。 宇野常寛の批評は、漫研のGiGiさんの勧めで追っかけ始めただけで、宇野氏の前歴もぼくは殆ど知らないのですが、『SFマガジン』だけは定点観測の対象にしています。 以下はその定点観測のメモですが、たまたま気が向いて「今更劇場版エヴァンゲリオンのラストについて考えてみた」という雑文になっています。 第1回の感想についてはこちらをご参照下さい。 「ゼロ年代の想像力」第2回と劇エヴァのメモ 劇場版において、碇シンジは長い葛藤の末に、内面(自己愛)への引きこもりを捨て、互いに傷つけあうことを受け入れて他者と一緒に生きていくことを選択する。そして結末、碇シンジはヒロインのアスカとともに滅亡した世界にただふたり残される。だが、アスカはシンジを「キモチワルイ」と拒絶する。 うーん、やっぱりエヴァは「アスカに拒絶される話」として解釈されてるんだな。 でも同時に、「他者を受け入れる

  • 大人になっても漫画を読むということ - ピアノ・ファイア

    読書日記を兼ねて、少し真面目な話を。阿佐田哲也の『ギャンブル人生論』で印象に残った節を引用してみます。 著者である阿佐田哲也(色川武大)自身が、ある友人からその兄についての相談を受けるというくだりです。 p21 兄貴にしてみれば、つらかったろうなァ。兄貴に能力が無かったというのじゃないんだからね。これは、もともと能力というものは、社会に適応した能力と、適応しない能力があるんだ。兄貴の場合は多分その能力が後者だったに違いない。 p24 だから、多くの不良少年は能力が欠如して落伍していくのではなく、能力がありすぎるために破目をはずして土俵の外へ足を出すのである。 ギャンブル人生論 阿佐田 哲也 角川書店 1983-01 売り上げランキング : 202869 Amazonで詳しく見る by G-Tools 色川武大の人間観として、その作品世界に通底しているのがこういうものの見方であって、『麻雀

    大人になっても漫画を読むということ - ピアノ・ファイア
  • 1