タグ

増田と読み物に関するfukudamasa09のブックマーク (2)

  • ある日、渋谷、桜丘にて

    井の頭線の下北沢駅で若干は感じてはいた、ただしすぐにそれは収まった。 気にしないつもりではいたのだが、自分の中に何か僕のお尻の将来に対する唯ぼんやりとした不安は存在していた。 午前8時渋谷。井の頭線西口の改札を通るときには違和感はほとんどなかった。トイレに寄るという考えもなかった。 ぼんやりとした不安を抱えたまま、西口改札を出て246方面に向かう。 夜は煙がごうごうと立ち上る、外国人にも人気の焼き鳥屋の名店鳥竹の脇を通り過ぎ、磯丸水産の目の前で言い様がない鈍い痛みが下腹部を襲ってきた。 冷気が腹部に悪さした、直感的に判断した。 会社までは15分ほど、「行けるか?」と自分の腹と尻に問いかける。 返事は「最大限の努力はするが保証はない」だった。 改札は出てしまった、もう行けるところまで行くしかないことは明白だった。 建て替えを行っており、現在は更地になっている東急プラザの裏手を通り過ぎる。 中

    ある日、渋谷、桜丘にて
  • 坂本龍一を殺すな

    ―――坂龍一がサントリーホールでオーケストラと共演する華々しい日に愛をこめて。かつて、坂龍一は反体制が売りだった。新宿高校でバリケードを組み、全共闘のデモで警官と取っ組み合い、騒乱の景色をthatness and therenessと歌った。それが今や、反原発という旗印のもと、坂は権威となってしまった。かつて彼自身が唾棄すべきとした権力の側に成り下がったのである。極めつけは「たかが電気」発言である。「電気」と「いのち」などという原理的に比較不可能な概念を対置する、その思考回路は正常か? 「経済」とは来、経世済民。富を循環させて民の苦しみを救うことに義がある。その「経済」を蔑ろにする社会が「いのち」を守れるのか? これを妄言と呼ばずなんと言おう。そもそも言葉の人ではない坂にスピーチをさせた時点で間違っていた。「いのち」なんていうダサい言葉、村上龍なら選ばなかっただろう。まあ別に、

  • 1