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戦史に関するfukudamasa09のブックマーク (2)

  • ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ - Wikipedia

    ヘルムート・カール・ベルンハルト・グラーフ(伯爵)・フォン・モルトケ(Helmuth Karl Bernhard Graf von Moltke, 1800年10月26日 - 1891年4月24日) は、プロイセンおよびドイツの貴族、陸軍軍人、政治家 、軍事学者。爵位は伯爵で陸軍の最終階級は元帥。 1858年から1888年にかけてプロイセン参謀総長を務め、対デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争を勝利に導き、ドイツ統一に貢献した。近代ドイツ陸軍の父と呼ばれる。 甥にあたるヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケ(小モルトケ)[注釈 1]と区別して、大モルトケと呼ばれる[3][注釈 2]。また明治時代の文献にはモルトケを「毛奇」と表記する物がある[4]。 概要[編集] ドイツ連邦北東の領邦メクレンブルク=シュヴェリーン公国の出身。父はメクレンブルク貴族でプロイセン軍人だったが、後に退役

    ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ - Wikipedia
  • いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 31 (バクラチオン作戦の砲兵戦術)

    ソ連軍の火力発揮にはかなり明確な定義が存在します。敵の25%程度を撃破する程度であっても指揮中枢を混乱麻痺させることで突破を実現する戦術を「無力化」と呼び、敵の半数程度を撃破してその戦力を奪うことを「制圧」と呼びます。そしてソ連軍が理想とするのは敵の60%以上を撃破して指揮統制組織から機材まで全てを潰す「破壊」です。第二次世界大戦後期のソ連軍砲兵ドクトリンは大規模な砲兵火力の集中によってこの「破壊」主義を極端なまでに求めたものです。 イギリス軍やドイツ軍は高度な無線ネットワークや様々な支援機材、柔軟な指揮統制システムによって砲兵火力を最前線から後方まで自在に集中させる「火力の機動性」を実現することで実際の砲兵戦力を何倍にも活用することを目指していましたが、ソ連軍では最前線に向けても、後方に向けても、それぞれに十分過ぎる程の砲兵を集中することが突破作戦成功の必須要件だと考えられています。19

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