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  • #炎上TV と「参加」の限界:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ

    昨日の深夜、つまり今日の未明に放映されたTBSの番組「大炎上テレビ」。生放送でスタジオの芸能人が議論するのを見ながら、視聴者もツイート、公式サイト上でのアンケートへの回答、ならびにLINEを彷彿とさせる「スタンプ」を通じて参加ができるというものでした。いまでこそ「視聴者の皆様もツイッターでご意見をお寄せください」的な番組は珍しくありませんが、大炎上テレビではスタンプをリアルタイムで表示する(スタンプの内容は番組側で設定するので放送禁止用語が流れる心配はなく、視覚的効果も得られる)という捻りを加えることで、視聴者参加の性格を色濃くしているのが売りだったと思います。 発想は面白く、またバスキュールが手掛けたシステムも視覚的で楽しいものでした。ただ、こういった「ネットと連動して視聴者の参加をつのる」という番組を観ると、いつも思い出す文章があります。ニューヨーク大学のクレイ・シャーキー教授が『

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    funiuni
    funiuni 2012/09/29
  • 不信の時代:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ

    Truth is not what is, but what others can be brought to believe. -- Michel de Montaigne 真実とは事実のことではない。皆が信じられるものが真実なのだ。―― ミシェル・ド・モンテーニュ たまたま読んでいたで引用されている格言です。16世紀フランスの哲学者ミシェル・ド・モンテーニュの言葉とされていますが、出典が書かれていなかったので、誤りが含まれているかもしれません。ただ真実と事実の関係を捉えたこの言葉は、いま非常に重要な意味を持っているのではないでしょうか。 地球は丸い。地球は太陽の周りをまわっている。人間はサルから進化した、等々――これらは「事実」として多くの人々に受け入れられていますが、当にこの分野を研究している専門家でもない限り、実際にはモンテーニュが言うところの「真実」でしかありません。つまり私

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    funiuni
    funiuni 2012/07/11
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