グレッグ・イーガン「ディアスポラ」のエントリを書き上げた後は素朴にもこう思ったものです。文学終わったな、と。たとえどんなに素晴らしい小説も、人生を変えるような思想も、しょせんは価値基準のメタ構造の階層を一歩昇るだけです。《真理》という名のニンジンを鼻先にくくりつけられた馬のように、がむしゃらに前へ前へと進んでいるだけです。それも、同じところをぐるぐる回っていることに気づかないほど盲目的に。しかしこの考え方は間違っています。 その理由は簡単です。人間はヤチマほど自由ではないのです。環境(観境)を自由にコントロールする力もなければ、不死の生命でもありません。ソフトウェア化した意識ならば、自分の価値観を自由に調節できますが、肉体人には不可能です。人間であることには、さまざまな限界がついてまわります。 私たち人間は、どんなに価値基準の相対化をはかり、メタ構造をクリアに把握しようとも、銃声一発でその