2020年9月2日のブックマーク (2件)

  • 医学部なんて入るんじゃなかった

    はじめに軽く自己紹介。地方大M3(医学部3年)の20歳。人生崖っぷち。 表題を見て不快になった人は、この記事を読まないよう強くおすすめする。医学部事情を知らない方は特に。ますます不快になると思うので。 医学部に入ったことを後悔している。 もともと文系学部志望で、就職するなら公務員か裁判官かな、とぼんやり考えていた。仕事をしながら趣味に興じる生活に憧れていた。 特定防止のためぼかすけれど、この趣味は小学校のころから熱を入れて取り組んでいる。今では生きがいだ。 収入は別に多くなくていい、ただ一人で生きていく分くらいは稼ぎたい。その上で、趣味の結果が出ればいいな。そんな感じ。 でも、親はそれを拒絶した。高一のとき、学校へ出発する前、私は軽い気持ちで「法学部ってかっこいいよなあ」と言った。 これがいけなかった。 「文系行くなら自分の金で行ってね」という投げやりな言葉から始まり、三日三晩(文字通り)

    医学部なんて入るんじゃなかった
    furseal
    furseal 2020/09/02
    勤務医になると今の何倍もの地獄が待っているので、絶対やめた方が良い。高給のイメージだがまるで割りに合わない。なんとか踏ん張って医師免許とって医系技官として当初目標の公務員になれ。それでも激務だけど。
  • ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】

    『公研』2020年8月号 第 606 回私の生き方 富野 由悠季・アニメーション監督 父への疑念 ──「富野由悠季の世界」展が昨年6月より開催されています(現在中断中、再開は9月の予定)。 富野 今回の「富野由悠季の世界」展で「与圧服」の写真を展示しています。これの開発に父が関わっていて、家に資料が残っていました。 この機会でしかできない話を一つさせてください。父の経歴についてです。父は昔の中学を卒業したあと、東京府立化学工業学校(化工)という専門高等学校へ進んでいます。父のアルバムにあった化工の写真を見ると、3階建てのコンクリート校舎の中央に時計塔があり、石積みの外壁の正面には三つのアーチ状の飾りが施された扉がある立派な建物でした。その前に軍人たちが集まっている写真は、子供の頃は軍の部隊写真だと思っていた。ところが、父は「俺の学校なんだ」と言っていました。 僕はそのアルバム写真を子供の頃

    ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】
    furseal
    furseal 2020/09/02
    天才なんだけど理想が高すぎて自己評価が低く捻れたコンプレックスを拗らせててそれが作品にプラスに働いている稀有な人。この人の自分語りはいつも面白い。