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ブックマーク / crd.ndl.go.jp (3)

  •  ことわざを途中から「なんとやら」と濁すことがありますが、その意味や目的について書かれた資料はありま... | レファレンス協同データベース

    ことわざを途中から「なんとやら」と濁すことがありますが、その意味や目的について書かれた資料はありますか。 また、いつからそのような用法があったのか確認できる資料はありますか。 1 「なんとやら」の意味 「なんとやら」の意味は、以下の辞典で確認できます。 (1) 『新明解 国語辞典 第7版』 山田忠雄/編 三省堂 2012.1 p.1138 わかりきっていることだとして具体的な内容をわざと言わないで済ませるのに用いる語。 (2) 『大辞林 第3版』 松村明/編 三省堂 2006.10 p.1907 名称や言葉などをぼかしたり、婉曲に言うときに用いる語。 (3) 『広辞苑 第7版』 新村出/編 岩波書店 2018.1 p.2202 はっきりしない物事を示したり、婉曲に言ったりする時に使う語。 2 目的について 「なんとやら」を使うなどしてことわざを濁したり、省略することについては、以下の 資料

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  • レファレンス協同データベース「この道をいけばどうなるものか」から始まる言葉の全文が知りたい。良寛の言葉らしい。 - レファレンス共同データベース

    清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)氏の詩「道」が該当の詩です。 この詩は、初出「同帰」第335号(昭和26年10月1日発行)。 『無常断章』1966.5 法蔵館に所収されています。 なお、『猪木寛至自伝』には、一休宗純の言葉として以下の詩が掲載されています。 「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」 これにより、アントニオ猪木氏がこの言葉を一休宗純の言葉として認識しているということはわかりました。 またインターネットサイトでも、一休宗純の言葉として扱っているページが複数存在することもわかります。 しかしながら、一休宗純の言葉であることを示す根拠となる資料は、発見できませんでした。 したがって、アントニオ猪木氏の座右の銘は、一休宗純よりも 清沢哲夫氏の詩の改変である可能性が高いと考えます。 インタ

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  • 父が言っていることと違う事実が書いてある本があります。本棚に並べておいてよいのですか?(4年生児童) | レファレンス協同データベース

    父が言っていることと違う事実が書いてある があります。棚に並べておいてよいのですか? (4年生児童) 日頃からお父様に対して尊敬の念をいだいている該当児童。 たまたま借りたの中の日中戦争に関する説明文で、 お父様から伺っていたことと違った記述を発見したようだ。 精神科医・作家・評論家であるなだいなださんの著書である 『心の底をのぞいたら』に、こどもはある時期まで 両親の考えや意見を絶対的なものとして信じるとあることや 発達心理学上もそのような分析がなされていることから、 該当児童の訴えはごく自然なものと考えられる。 また、一方で「図書館の自由に関する宣言」で触れられているとおり、 図書館には「資料収集の自由」と「資料提供の自由」が存在する。 該当児童のお父様を思う気持ちに配慮しながら、「図書館棚には、 いろいろな考えを持つ方々がお書きになった様々なが並んでいて よいのです。」と

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    fusanosuke_n
    fusanosuke_n 2015/02/09
    出版社・著者に抗議、連絡し訂正を求めるべきでは?。ではなくて「本棚に並べて おいてよいのですか?」になるのがヤバイ。小4でこれとは末恐ろしい。
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