■現場へ! 記録を残す① 《真実はその瞬間から過去のものになる。ただそれであっても、ある時点でだけ真実だとされている事柄が、情報として必要になる日が来ないとだれがいい切れるんだろう》 4年前に芥川賞を…

印象派はこうして世界を征服した 作者: フィリップフック,Philip Hook,中山ゆかり出版社/メーカー: 白水社発売日: 2009/07/01メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 31回この商品を含むブログ (11件) を見る画商 印象主義を躍進させた最後の要素は、まさにこのとき、絵画の売り方が変わったということだった。(略) ポール・デュラン=リュエルの存在は、まぎれもなく未来の美術市場の発展の基礎となるものであり、彼のような〈実業家〉としての画商の出現は決定的な意味をもっていた。芸術家を価値ある商品として積極的にブランド化し、彼らに手当てを払う。商業ギャラリーでの展覧会を積み重ね、注意深く評価を行ないながら、各々の価格を設定することによって芸術家を管理する 鉄道 鉄道は近代生活の象徴であり、したがって〈現代〉を描き出そうと奮闘していた画家たちにとって、理想的なテーマだった。
山下 上野は、東京国立博物館(以下東博)はじめ、国立西洋美術館、東京都美術館、上野の森美術館と、博物館美術館が集まっていて、まさに美術の森ですね。 赤瀬川 なんでこんなに集まっているんですか? 芸大だからですか? 山下 芸大も上野にありますけど、それだけじゃないでしょう。 明治政府が寛永寺境内をほぼ没収したことがはじまり 赤瀬川 芸大と東博はどっちが先にできたんでしょう? 山下 東博が先ですね。明治10年に内国勧業博覧会が上野で開催されました。要するに明治政府の「富国強兵・殖産興業」政策に則ったものです。この博覧会の展示館のひとつだった「美術館」とその後ジョサイア・コンドル(※1)の設計した煉瓦造2階建の建物とが、最初の東博になったんです。(※2)関東大震災で大破してしまったので、今の建物は昭和初期の建物ですけれど。 赤瀬川 博覧会が上野で開かれたのは上野を文化の山にという気分があったんで
ある発見によって、それまでの定説が一挙にひっくり返るということがときおり起こる。この『百鬼夜行絵巻の謎』は、そんな瞬間をほぼリアルタイムに伝えた(かもしれない)一冊である。 内容もだが、こんな専門性と趣味性の高い発見が、新書という媒体にまず載せられたということに驚かされる。新書爛熟期を象徴する書物といっていいかもしれない。 専門性は高いものの、よく練られた構成にすっきりとわかりやすい文章、さらにカラー図版をバンバン使った懇切丁寧なつくりのおかげで、予備知識がなくてもすんなり楽しむことができるだろう(固有名詞はメモらないと混乱すると思うが)。 さて「百鬼夜行絵巻」とは、室町時代に大流行した、妖怪たちがぞろぞろ練り歩いている様子を描いた長い絵巻のことである。 いくつか有名なものがあるが、なかでも重要文化財に指定されている、大徳寺真珠庵収蔵の伝土佐光信画「百鬼夜行絵巻」(真珠庵本)が、美術的価値
「丸に三つ葉葵」の紋といえば、260年余続いた徳川将軍家のしるし。その栄華を遙かにしのぐのが、「双頭の鷲」を紋章にしたハプスブルク家だ。中世から20世紀初頭まで、650年もの長きに渡り君臨した、ヨーロッパ随一の王家。自らを「高貴な青い血」の一族と見なし、血族結婚を繰り返した。 ハプスブルク家にまつわる本は、一族の栄枯盛衰を追ったもの、マリー・アントワネットやエリザベート皇后など当家の著名人たちにスポットを当てたものなど、数多く出版されている。だが、本書のように、ハプスブルク家の血を引く者たちをモデルにした「名画」から、そのドラマティックな血脈を読み解こうとした試みは初めてだろう。 ちなみに、著者は美術評論の専門家ではなく、大学でドイツ語や西洋文化史を教える学者。著名な西洋名画の背景にあるぞくりとするエピソードを紹介しながら、絵画の新しい見方を提示していく美術エッセイ『怖い絵』シリーズがヒッ
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