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ブックマーク / chnpk.hatenablog.com (3)

  • 都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想

    みなさんご存知の通り、都心の地代は高い。実に。 しかし果たして当にそれだけの価値があるものなのか、都心住まいというものは、という話である。今日はそのあたりについて考えてみたい。 かくいう私の生家は渋谷から歩いてまあ15分程度、都心といえば言えなくもない立地にある。今でもそこに住んでおり、家賃というものを支払っている事実はない。従って、都心の地代が高かろうが安かろうが関係ないと思われがちな立場だ。 とは言え、である。 もし都心住まいの価値が不当に割高に評価されているのであれば、私は、今の家を高値で売り払って郊外で悠々と暮らすことが合理的だということになるだろう。 つまり、私は家を売却してしまうという選択肢に関する機会費用を、常に負担していると言える。であれば、都心住まいの当の価値には、やはり人一倍敏感で然るべきなのだ。 で、渋谷。 渋谷から徒歩圏というと便利だなんだと持ち上げられることが

    都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想
  • 絵を描けない人、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人 - よそ行きの妄想

    何の脈絡もないが、ふと、絵を描けない人や、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人には、共通点があるように思った。 それは端的に言えば、ものごとを正確に理解しようという意識が弱いということ。対象を正確に把握しないままに、それを絵に描いたり、文章にしたり、喋ったりするから、相手に上手に伝わらないのだ。 ある対象についてのことを伝えるには、まずはその対象を自らがきちんと理解する必要がある。脳内に描くイメージ以上に正確なものをアウトプットできるはずがないのだ。例えば、誰か他人の似顔絵を描くというのはなかなか難しい作業だが、その理由は要はその人の顔を覚えていないからだ。かわいいとかキレイとかそういう感想の類いでもなければ、その人と他の人とを区別するためのテクニカルなポイントでもなく、その人の正確な顔である。輪郭や髪型、肌の色つや、目や鼻の位置やそれぞれのつくりなど、つまりは普段我々が目で見てい

    絵を描けない人、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人 - よそ行きの妄想
  • バスタオルをめぐる攻防 - よそ行きの妄想

    これまたどうでもいい話だが、以前書きかけたものが下書きボックス*1に入っていたので、何故こんなことを書こうと思ったのかこそは忘れてしまったものの一応文章にはなっているようだったのでふいに公開してみる。 ご存知の方がいるかは知らないが、結婚して間もない夫婦が揉める最大最強の原因として、バスタオルをめぐる対立がある。 即ち、バスタオルは毎日新しいものを使いたいという人と、バスタオルを洗うのは何回かに1回でいいという人の対立である。これらの嗜好はそれまでの家庭環境の影響が強く反映され、かなり強いこだわりがあることもざらである。 それぞれの言い分は簡単で、毎日新しいものを使いたいという人のそれは、その方が気持ちがいいということである。誰しも一風呂浴びた後にフワフワした洗い立てのタオルに身を包まれれば気分がいい。むしろ、人によっては風呂に入ってすっきりするという経験の中に、洗い立てのバスタオルで身体

    バスタオルをめぐる攻防 - よそ行きの妄想
    gabari
    gabari 2009/09/10
    「私が高校生くらいのときに洗濯が面倒になった母親が全部どこかにしまってしまった」
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