「トロツキーとの七年間」 »〈ふたり〉へトロツキーとフリーダ・カーロ―メキシコ メキシコ市から南へ車で2時間半、山の中に赤い屋根と白い壁の町がこつぜんと現れる。銀山で栄えた町として名高いタスコだ。近世、メキシコ銀貨は世界で流通し、日本でも幕末、洋銀といわれて使われた。山の斜面にゆるやかに広がる街並みは、保養地として多くの人が訪れている。 銀の採掘で栄えたタスコの街並みを、トロツキーが滞在したという家から望む トロツキーは暗殺された家の中庭に埋葬された=メキシコ市で 住宅街にある「青い家」は現在「フリーダ・カーロ博物館」になっている。青い壁面が目を引く=メキシコ市・コヨアカンで トロツキー夫妻(両端)を歓迎するフリーダ・カーロら=1937年1月、メキシコで 「おじいさんからトロツキーのブーツを見せてもらったことがある」。タスコの銀細工店主セルヒヨさんは、私がロシア革命の立役者レオン・トロツキ