「こんなにスポーツ出来るのに、何で運動部とかに入らないの?」 「だって部活に入るとさぁ……ゴールデンタイムのアニメが見れないじゃん」 『あずまんが大王』が「ありそうでありえない日常」を描いたとすれば、この『らき☆すた』は「本当にありそうな日常」を描いている、と感じさせる点で異質な作品であると言えるのかもしれません。「チョココロネは頭と尻尾のどっちから食べる?」なんて「たい焼きは頭と尻尾のどっちから食べる?」と同じレベルの、ごく日常的な会話ではありませんか。 このような固有性のない繰り返される日常を「物語」として成立させているのは形式であると言えます。そもそも京アニの作画が賞賛される原因として、単純に作画が優れていることと共に、形式を知覚させること、「ここは作画に注目だ」と視聴者に教えるような作品構造をとっていることが挙げられるでしょう。『らき☆すた』においてはOPとだけではなく本編において