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2009年10月6日のブックマーク (4件)

  • asahi.com(朝日新聞社):朝から洋画みよう 往年の50作品通年上映企画 - 映画 - 映画・音楽・芸能

    朝から洋画みよう 往年の50作品通年上映企画2009年10月6日 往年の名作洋画を全国のスクリーンで連日上映する「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50」が、来年2月6日から1年間にわたって開かれる。一般社団法人映画演劇文化協会(松岡功会長)の主催。若者の洋画離れをい止め、熟年層を映画館に呼び戻そうという狙いだ。 50の選定は、1950年代から70年代の欧米の映画を中心に、まず一般ファンから投票を募る。その結果などを参考にしながら、映画評論家ら4人の選定委員が11月末に決定する。この50を新しくプリントし直し、札幌市から鹿児島市まで全国25カ所のシネコンで、週替わりで午前10時から毎日上映する。 選定委員の品田雄吉さんは「感受性の強い若い人たちに映画館に行く習慣をつけてほしい」と話す。同じく選定委員のおすぎさんはモノクロの名作も積極的に入れていきたいと話す。「今の人には嫌われている

  • 弁護士 小松亀一法律事務所_趣味_映画「復讐するは我にあり」を観て-名優緒形拳氏を偲んで3

    ○「映画『鬼畜』を観て-名優緒形拳氏を偲んで2」に「緒形拳氏と小川氏との濡れ場は、昭和54年封切り映画『復讐するは我にあり』との記憶違いだったようです(^^;)。」と記載していましたが、この映画「復讐するは我にあり」のDVDを注文していたのが、平成21年1月28日再プレス版がようやくヨドバシ仙台店に入荷になりました。早速購入して1月31日(土)にじっくり鑑賞しました。 ○昭和54年封切りと同時に当時の仙台市一番町にあった松竹ビル5階松竹映画館で鑑賞しており、今回はほぼ30年ぶりの鑑賞です。しかし、冒頭のパトカーで護送させるシーンから全く記憶が忘却の彼方でした。全編殆ど初めて観る感じで、やはり僅かに記憶に残っていたのは、小川真由氏との最後の一番激しい濡れ場だけでした。ネットや雑誌でも激しい性表現が溢れている今の時代に比べれば当時はおとなしい表現が多く、この緒形拳氏と小川氏のこの映画での濡れ場

  • 西口彰事件 - Wikipedia

    西口彰事件(にしぐちあきらじけん)とは、1963年(昭和38年)10月から1964年(昭和39年)1月にかけて起きた連続殺人事件で、「戦後最悪の連続殺人」と言われることもある。 前科4犯の西口 彰(にしぐち あきら、1925年〈大正14年〉12月14日、キリスト教カトリックの家庭に生まれる)が1963年10月に2人を殺害し、その後、1964年1月3日に逮捕されるまで逃亡を続け、大学教授や弁護士などを騙って計5人を殺害し、計80万円を詐取した。熊では弁護士を装って教戒師・古川泰龍の家に押し入ったが、当時小学5年生(10歳とも11歳とも言われる)だった古川の娘が正体を見抜き、警察に通報することにより逮捕につながった。 警察の要職を歴任した高松敬治は「全国の警察は、西口逮捕のために懸命な捜査を続けたが、結果的には全国13万人余の警察官の目は幼い一人の少女の目に及ばなかった」と語った。 福岡県で

    西口彰事件 - Wikipedia
    garamani1983
    garamani1983 2009/10/06
    映画「復讐するは我にあり」のモデル。
  • 復讐するは我にあり - Wikipedia

    黒木和雄、深作欣二、藤田敏八らと競った末に今村昌平が映画化権を取得[5]。映画は松竹と今村プロダクションの共同製作、配給は松竹。1979年4月21日に公開された。 馬場当、池端俊策が脚を担当、主演は緒形拳。1968年の『神々の深き欲望』で各映画賞を受賞して高い評価を受けたものの、同作の長期間の撮影が災いして今村プロダクションはおよそ2000万円の負債を抱え、以後はテレビのドキュメンタリー番組を手がけていた。当時、苦境にあった今村昌平にとっては、起死回生の10年ぶりの新作劇映画である[6]。 キャッチコピーは、「惜しくない 俺の一生こげなもん…」[7]。同年度キネマ旬報ベストテン1位。第22回ブルーリボン賞ならびに第3回日アカデミー賞作品賞受賞作品。配給収入は6億円を記録し、松竹作品としては盆と正月の『男はつらいよ』2に次ぐその年の3位の成績を収めた[8]。作のヒットで今村プロダクシ

    garamani1983
    garamani1983 2009/10/06
    1979年作を視聴した。撮影当時の端役に至るまで、ものすごい豪華キャスト(今では)。撮影に原一男も。緒形拳の素晴らしさを再認識する。