関東大震災時の朝鮮人虐殺について、殺害現場を見たという証言はかなりの数が残されているのに対して、「オレがやった」という加害証言はほとんど見当たらない。 いったん狂乱状態から醒めてしまえば、自分の手で人を殺したという告白が容易にできないのは当然だろう。しかし、その最中には、まさに公然と「殺し」が語られていた[1]。 なにしろ天下晴れての人殺しですからね。私の家は横浜にあったんですが、横浜でもいちばん朝鮮人騒ぎがひどかった中村町に住んでいました。 そのやり方は、いま思い出してもゾッとしますが、電柱に針金でしばりつけ、なぐるける、トビで頭へ穴をあける、竹ヤリで突く、とにかくメチャクチャでした。 何人殺ったということが、公然と人々の口にのぼり、私などは肩身をせまくして、歩いたものだ。 そうした「天下晴れての人殺し」告白の貴重な一例が、横浜市役所の編纂による『横浜市震災史』(1926年)に記録されて