2010年3月15日のブックマーク (3件)

  • 「問い」を持って読む/あまりに基本的過ぎてあまり触れないこと

    文献を効率的にかつ深く読むためには、「問い」を持って読むことだ。 「問い」を持つものは、程度の差こそあれ、「答え」について予想を持っている。 たとえば、どんな条件を満たせば、答えと言えるのかについて(少なくともある程度)知っている。 だからこそ、「答え」に行き当たったとき、それが「答え」かどうかの判断が付く。 研究の成果として生みだされる文献は、それ自身の問いと答えを必ず持っている。 現代では、その文献が抱える問いと提示する答えは、タイトルや要約(アブストラクト)、序文などに明示されている。 すべて読まなくても、その文献を読むべきかどうか、判断が付くようにだ。 読むかどうかの判断は、当然読み手にゆだねられる。 自身の「問い」を持つ読み手は、こう問い掛けることで、その判断を付ける。 すなわち、「この文献は、自分がいま抱いている「問い」に答えることに、果たして役に立つのか?」。 役に立つと判断

    「問い」を持って読む/あまりに基本的過ぎてあまり触れないこと
  • 電源カフェ~【ノマドやお外で働き・遊ぶ全ての人へ】さんのプロフィールページ

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  • 「ほんとうのプロダクトアウト開発」 ― マツダはなぜ、よみがえったのか? - naoyaのはてなダイアリー

    "プロダクトアウト"。技術や思い入れなどを優先して製品を作るやり方です。 技術から発想しなければなし得ない製品というのは当然ありますし、そういうものこそ革新的であるとずっと思っていました。ですが、僕はこの「プロダクトアウト開発」というのを、いつからか都合の良いように解釈していた。自分達がやりたいことを優先するための正当化、技術的に困難な課題を解くことからはじめるのではなく、そこに扱いやすい技術があるからそれで作るという、リスクを取らない開発のための言い訳。 「プロダクトアウトじゃないと、真に新しいものは作れないんです。」 先日、『マツダはなぜ、よみがえったのか?』というを読みました。不振に陥った自動車メーカーのマツダが、苦境の中から RX-8 を開発し、その状況から脱出するまでをつづったノンフィクションです。このには「ほんとうのプロダクトアウトとはなにか」ということが記されていました。

    「ほんとうのプロダクトアウト開発」 ― マツダはなぜ、よみがえったのか? - naoyaのはてなダイアリー