『宇崎ちゃんは遊びたい』とコラボした献血ポスターについて、フェミニストの牟田和恵先生が、各自治体のガイドラインを示して、ポスターはガイドラインに反した性差別であると主張しています。それに対してはすでによい論評がいくつか出ているので [1]「「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの絵は過度に性的なのか?」「宇崎ちゃんを採用した赤十字は現実的」 私が書くべきことはほとんどないのですが、一つ、大学での教育的な点から書いておきたいことがあります。これは続きものになるかもしれない。 ゲンダイの文章は改ページが多くて見通しが悪いので、冒頭から、途中の、ガイドラインに反しているのは明らかだと主張しているところまで引用しましょう。 日本赤十字社が献血を呼びかけるためにweb漫画とコラボで作成したポスターがネット上で論議を呼んだ。今回使われたのは写真の通り、幼い表情で、巨大といってもいいような乳房
創作物が出来上がる過程は倫理的である方が望ましい。 映画や漫画、そしてその他全ての文化的な創作するときに、制作者は世間の最大公約数的な倫理を知ることが必要である。 例えばドキュメンタリー番組を撮る際に、作為的に個人をこっぴどく叩き、有る事無い事を面白おかしく描き、名誉を棄損して生まれたとすれば、たとえどれだけ面白いものであっても、その存在自体が否定されても仕方がない。 これは二次創作でも同じことが言える。 完成した創作物が最大公約数的に倫理的である必要は無いと私は考える。 それは『表現の自由』が日本で認められているからだ。 表現の自由とは、自己の精神の動きつまりは考えを外部に表明することを自由に行えるということである。もちろん、自由な表現を受け取る側が、それに対する感想を外部に表明することは自由である。 ただ、ここで勘違いをしてはいけない。 受け取る側が持つ権利は、創作物に触れるか触れない
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