2016年7月27日のブックマーク (3件)

  • 今夜ロックンロールに殺された - K Diary

    昨年に引き続き、フジロックに3日間、フルで行ってきた。基的にダラダラしつつ、見たいやつを見る元気があったら見に行く、というスタイル。レッチリやらBECKやらthe interenetやらWilcoやら、沢山見た。レッチリは至る所で書かれているように演奏も音響もセットリストもイマイチな感じで次に期待、といった感じだろーか。ボーカルのアンソニーがなんか怒っていたし。"Can't Stop"も"Around The World"もやらなかったしなあ。同時間帯にフィールドオブヘブンでやっていた、カマシ・ワシントンが凄かったらしいので見とけばよかったなあ、と思ったり。しかし、レッチリの後に見たceroと電気グルーヴがとても良かったので心の穏やかさを取り戻した。あと、The Birthdayも初日のグリーンステージトリのSigur Rósの前に見たのだけれど素晴らしくって、またライブ見たいな、と思っ

    今夜ロックンロールに殺された - K Diary
  • 相模原知的障碍者大量殺人事件について思うこと

    植松さんは、「困っている人の手助けをしたい」という純粋な思いから介護職を選び、あの園に就職したのだと思います。 給料は安くても、皆から感謝される仕事はやりがいがあります。 崇高な理念というと大げさだけど、それなりの矜持を持って職務を遂行していたはずです。 しかし、現実は厳しかった。 介護の仕事でも、身体障碍者や高齢で動けない人の世話というのは、体力が必要で重労働になりますが、 何より、人から感謝されることが多いので精神的に救われます。 ところが、認知症患者や知的障碍者の場合は、全く異なるのです。 まず、知的障碍者に言葉は通じないです。 園内の生活ルールについて、最初は優しく、何度も何度も繰り返し、教え諭すように指導しても言うことを聞いてくれません。 生活ルールというのは、例えば、今からお昼をべましょう、スリッパで他人を叩くのをやめましょう といった、 常識のある一般人にはルールですら無

    相模原知的障碍者大量殺人事件について思うこと
  • 小野田さん帰国 42年後の真実|NHK NEWS WEB

    太平洋戦争の終結を知らないまま、30年近くフィリピンのジャングルに潜伏を続けた旧日陸軍の元少尉、小野田寛郎さん。1974年、小野田さんが日に帰国したときは、日中が沸き立ちました。 小野田さんの帰国を巡って、日とフィリピン政府との間で極秘の交渉が行われていたことが、外交文書から新たに分かりました。さらに、この交渉を経てフィリピン側に支払われた3億円の資金を巡って知られざる事実が浮かび上がってきました。(国際放送局 照井隆文記者、広島放送局 関根尚哉記者) 残留日兵 小野田寛郎さん 7月23日、日とフィリピンは、国交正常化から60年を迎えました。太平洋戦争末期、最も過酷な戦場の1つとなったフィリピン。日人50万人余りが死亡、100万人を超すフィリピン人が犠牲になったと言われています。 当時22歳だった小野田寛郎少尉は戦争が終わったことを信じず、3人の仲間とともに、フィリピンのジ

    小野田さん帰国 42年後の真実|NHK NEWS WEB