タグ

ブックマーク / www.huffingtonpost.jp (2)

  • 【新国立競技場】「なぜ実務家たちは、ザハ・ハディドを支持するのか」建築家・藤村龍至さんに聞く

    ――今回の白紙撤回に至る経緯で、専門家の知見と、一般層の考えるあるべき姿に、大きな隔たりがあると今、感じています。たとえば「コンペできちんと費用を見積もりができないのはダメだ」と批判の対象になりました。あのコンペについて、建築家としてどう思いますか? あのコンペは「デザインコンクール」という少し変わった名称がついていて、まず、提案された大まかな考え方とイメージをもとにリーダーとなる設計チームを選ぶのが目的のコンペでした。そこでまずザハ・ハディド事務所が「デザイン監修者」という肩書きで選ばれ、その後の「フレームワーク設計」という段階でもう一度プロポーザルコンペが行われて、要件を整理しつつザハ事務所ら海外チームと連携を取りながら詳細の設計作業を進め確認申請や見積もりを出すための実施図面を作成するチームとして梓設計、日設計、日建設計、アラップジャパンの4社からなる設計JVが日側のチームとして

    【新国立競技場】「なぜ実務家たちは、ザハ・ハディドを支持するのか」建築家・藤村龍至さんに聞く
  • 日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない。

    高校生の頃から、もやもやとした違和感を持っていた。何に対してかと言うと、自分を覆い包む空気のようなものに。少しでも明確に言えば、日という国に漂う匂いみたいなものに、なんだかイヤだなあという気持ちを持っていた。 それは、周囲との同化を強いる。自己主張をしすぎるとまずいらしいとか。それからどうやら、新卒での就職が大事でそこで人生は固定されるらしいこと。その固定的な人生は会社という固定的なシステムに規定され、それを受け入れさえすれば平坦だが安泰な人生が送れるらしいこと。高校生でも、そんな世の中になっているらしいことは感覚的に理解していた。そしてそれが心の底からイヤだった。そういう固定的なシステムに覆われずに生きたかった。

    日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない。
  • 1