新人のころ、花月で、おじいおばあの団体客の前で漫才をやらされた。もちろん、最初の二、三分は一生懸命やる。しかし、客のレベルがあまりにも低いことが分かると、いちばん前の客にも聞こえない小さい声でしゃべったり、十五分の待ち時間を三分で帰ったりしたものだ。『遺書』松本人志(朝日新聞社 1994年) 昨日のWOWOWぷらすと。R−1論もすごかったが、それに付随して、大谷さんが何気なくすごいことを語られていた。 大谷さん「この間宮沢章夫さんと話してて。大阪時代のマルクスブラザーズの上映会とか、吉本の芸人で来てたの、松本さんだけだって。宮沢さんがやったやつ。東京だったらケラさんが観に来てたやつとか。でも松本さん言わなかった。東京だと、シティボーイズさんのライブとか行ってたんだけど、言わなかった。吉本の土着的なベタをわかった上で、東京の、あの当時のサブカルチャー的なものを研究して研究してしっかりパッケー