「学び合い」教育の諸問題(1) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと 2011年02月17日 【「学び合い」教育の諸問題(1)】この教育「実践」を行う教員たちは「子供の潜在的能力」や「子供の可能性」に期待する教員が多いが、学校教育「以前」、教員の教育「以前」、教室授業「以前」の子供の「潜在的能力」、「可能性」とは、結局のところ家族の環境や地域の環境に色濃く影響を受けたものでしかない。 【「学び合い」教育の諸問題(2)】その意味で、抽象的な「子供の潜在的能力」や「子供の可能性」一般などというものは存在しない。「純粋な子供」というのも低俗なロマン主義でしかない。「かわいい」少女もまたただ単に大人が喜びそうな表情、仕草、トークとは何かを心得ている「ませた」少女に過ぎない。まあ、その意味では〈少女〉は男の子よりはるかにませてはいるが。 【「学び合い」教育の諸問題(3)】学校「以前
大学入試改革と学校教育の意味 ― ペーパーテストは民主主義の原点 2016年05月20日 ●今回の入試改革の趣旨と変遷 大学入試改革は、3年間にわたって三つの報告にまとめられて提案されています。一つは、一昨年の教育再生実行会議(安倍政権の私的諮問機関)第四次提言(二〇一三年十月三十一日) ― 以下「提言」と略す。二つ目が「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」(二〇一四年一二月二二日中央教育審議会答申) ― 以下「一体改革答申」と略す。三つ目が今年三月の高大接続システム改革会議「最終報告」(二〇一六年三月三十一日) ― 以下「最終報告」と略す。 三年前の「提言」は、マスコミによって「人物評価主義の入試方式」とまとめられましたが、今回の「一体改革答申」(二〇一四年)と「最終報告」(二〇一六年)では、「人物評価」という言葉はすっ
「学び合い」教育の諸問題(2) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと 2011年02月18日 この記事は「『学び合い』教育の諸問題 ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと」( 2011年02月17日)http://www.ashida.info/blog/2011/02/post_403.html#more の1)~53)の続編(54)~(83)です。まだまだ続きますが、とりあえず私の整理の中間報告をします。 【「学び合い」教育の諸問題(54)】さて、できる子供は、通常の一対n個の授業のように先生に直接教わる機会を経ないでも、教室内で主には自学習を進める。その“教材”は教科書+業者の教材プリントかも知れない、教員のオリジナルプリントかも知れない。教員によってまちまちだ。 【「学び合い」教育の諸問題(55)】しかし、自学習で「問題を解く」という行為は、ある種
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