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  • MADの歴史についての覚書|esehara shigeo

    はじめに この文章は、2010年に書かれたものである。かれこれ26歳の文章になるものだった。当時は一貫したMAD論を書きたいという思いでこの文章を書いていたけれど、未完のままで終わっている。このまま死蔵してしまうのはもったいないと思い、ここで公開する。 もちろん、事実誤認は多くある。また現状としてMAD文化はもっと進歩を遂げており、この文章を書かれた当初とは状況が違うことも認識している。そのことに関しては、コメントして頂ければと思う。ただし、現状として、それらを改めて修正するほどの余裕もない。そのような時代の制約と、筆者の能力不足のものとして読んでいただきたい。 なお、この文章は購入しなくても全文読める。何か感じ入ることがあれば、投げ銭代わりに利用して頂ければ嬉しい。 個人複製技術の誕生 まず、MADの存在自体が「個人複製技術」と平行していることを指摘しなければならない。 「個人複製技術

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