モーツァルトを聴きながら、最後まで原発の危険を訴えた=東京・原子力資料情報室で1994年10月、橋口正撮影 ◆原子力資料情報室代表 高木仁三郎さん(2000年死去、享年62) ◇あきらめから希望へ 「市民科学者」に徹して 古びたテープレコーダーとカセットテープ十数個が2階書斎に残されていた。千葉県鴨川市の田園にある高木さんの自宅。出迎えてくれた妻の久仁子さん(66)は晩年がんの闘病生活を送りながら原稿を書く高木さんの姿を語った。「仁さんはモーツァルトの音楽をかけながら、そのイスに座って、テープレコーダーに原稿を吹き込んでいました」 東大で核化学を学び、30歳の若さで大学助教授となった「原発エリート」は、熟慮の末、脱原発に転じ、生涯をかけて50冊を超える本を残した。東京電力福島第1原発の事故以来、新聞や雑誌には日々、この人が発していた「警告」が引用される。 高木さんが亡くなったのは2000年