「諦(あきら)めよう」と聞くと、あなたはどう感じますか? 特に「仏教はアキラメ主義だから進歩向上がない」と悪口を言う人があります。 確かに諦めるというのは、仏教から来た言葉ですが、 仏教ではまったく違う意味で使われます。 この記事では、 ・よくある諦めるの使い方 ・仏教での諦めるの意味 ・諦める方法 ・諦めてより一層幸せになる ということについて分かりやすく解説します。 諦めるの意味 諦めるの意味は、辞書によればこのような意味です。 あきら・める【諦める】 〔自マ下一〕あきら・む〔自マ下二〕 (道理を明らめて断念する意という)仕方がないと思い切る。断念する。 *浄・蝉丸‐一「ぜひなき事とあきらめ給へ」 (引用:小学館『スーパーニッポニカ 国語辞典』) 「諦める」と言えば、普通は、 断念したり、 悪い状態を仕方がないと受け入れること。 「諦める」という言葉、普通どんな時に、どのように使われる
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