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ブックマーク / www.h5.dion.ne.jp/~terun (3)

  • シュレディンガーの猫 - 哲学的な何か、あと科学とか

    量子力学の不思議さを説明するときに、必ずと言ってよいほど、よく使われるのが、 「シュレディンガーの」 という思考実験である。 だが、この思考実験を理解するのは、見かけよりもかなり難しい。 これを理解するためには、まず 「2重スリット実験」 についての知識が必須である。 (読んでない人は、まず、そっちから先に読んでほしい) さて。 「2重スリット実験」の項目でも述べたように、 量子力学の標準的な解釈(コペンハーゲン解釈)とは、 「観測される前の、電子の位置は、ホントウに決まっていない。 電子の位置は、観測されて初めて決定される。 観測される前の、電子の位置は、 ここにあるかも、あそこにあるかもという『可能性』として多重に存在している」 というものであった。 ここで、一番理解しておいて欲しい点は、 1個の粒子として観測される電子でも、観測される前では、 当に、複数の場所に同時に存在している

  • 不完全性定理 - 哲学的な何か、あと科学とか

    不完全性定理 1930年頃 一般的に言って、 「数学的に証明された」ことについては、もう議論の余地はない。 どんなに年月が経とうと、決して反論されることもなければ、 科学理論のように、よりすぐれた理論に取って代わられることもない。 主義主張にも善悪にも関係なく、また、どんな嫌なヤツが言ったとしても、 数学的に証明されたことは常に正しい。 まさに絶対的な正しさ。 「数学的証明」こそ、永遠不変の真理なのである。 だからこそ、数学を基盤にし、証明を積み重ねていけば、 いつかは「世界のすべての問題を解決するひとつの理論体系」 「世界の真理」 に到達できるのではないかと信じられていた。 さて、1930年頃のこと。 数学界の巨匠ヒルベルトは 「数学理論には矛盾は一切無く、 どんな問題でも真偽の判定が可能であること」 を完全に証明しようと、全数学者に一致協力するように呼びかけた。 これは「ヒルベルトプロ

  • 哲学的な何か、あと科学とか

    飲茶な日々 (3日に1度は更新予定の哲学日記) 2008年10月11日 僕の中二病告白 中二病という言葉があるそうです。 ―――――――――――――――――――――― 中二病(ちゅうにびょう)とは日の俗語、スラング。 思春期にありがちな微妙にズレた自意識過剰、 それから転じて起こる数々の「中学二年生くらいの頃に ありがちな言動」を「症状」として比喩したもの。 子供が大人になろうとして、 「大人が好みそうな(と子供が考える)格好いいもの」に興味を持ち、 子供に好かれるようなもの、幼少の頃に好きだった幼稚なものを 否定したりなどする。「もう子供じゃない」「(汚い)大人になりたくない」 という自己矛盾が、実際の大人から見ると非常に「ズレて」おり、 滑稽に見えることが大きな特徴である。 さらに、生死や宇宙について思い悩んでみたり、 政治や社会の汚さを批判してみたり

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