外出の自由はなく、監禁状態 慰安所での生活は軍や経営者によって管理されていました。監視の目が厳しく、「慰安婦」の外出は取り締まられ、たとえ許されても裵奉奇さんのように決められた区域内での散歩ぐらいでした。逃げ出しても自分がどこに連れてこられたのか、また地理も言葉もわからない土地で行く当てなどありません。逃げても生命の保証もありません。中には逃げ出したものの追っ手に捕まり、見せしめのためにひどい体罰を受けた「慰安婦」もいました。 屈辱の日々 「慰安婦」には日本名がつけられ、着物や髪型も日本風にさせられました。慰安所には、昼間は下士官・兵が、夜は将校がきて、体調が悪くても生理であっても、拒否することはできませんでした。1日に10〜20人、多い時にはそれ以上の相手を強いられることもあり、病気になったり、性病に感染した「慰安婦」もたくさんいました。慰安所に入れられる女性は、最初に必ず性病検査を受け