江川事件(えがわじけん)は、1978年のドラフト会議前日にプロ野球セ・リーグの読売ジャイアンツとの電撃的な入団契約を結んだ投手・江川卓の去就をめぐる一連の騒動。江川問題(えがわもんだい)、江川騒動(えがわそうどう)、空白の一日(くうはくのいちにち)とも呼ばれる。 1973年、江川卓は作新学院のエースとして、ノーヒットノーラン9回・完全試合2回、春の甲子園における大会通算最多奪三振記録など、数々の記録を残して日本中の注目を浴びた。プロ球団の目に止まるようになるが、江川と父親の二美夫は大学へ進学しプロへは行かないと明言[1]。また進学先として慶應義塾大学を希望していることも明らかになった。 1973年11月20日、ドラフト会議が東京・日比谷の日生会館にて行われ、阪急ブレーブスが1位で江川の独占交渉権を獲得[2]。当時のドラフトはくじによって球団の指名順位を決定する「変則ウェーバー方式」であった