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人工知能に関するgitanezのブックマーク (6)

  • 脳と創造性「この私」というクオリアへ / 茂木健一郎: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日は、ジェフ・ホーキンスの『考える脳 考えるコンピュータ』を紹介しましたが、今日はもう1つ脳研究つながりということで、茂木健一郎氏の『脳と創造性 「この私」というクオリアへ』をご紹介。 茂木氏は結構、多作なので、著書もたくさんあるし、最近『ひらめき脳』なんていう新書を出されたりしていますが、昨日の話のつながりとしては、『脳と創造性』を紹介しておくのがよいのかな、と。 自分自身にしゃべる「この私」さて、昨日は『考える脳 考えるコンピュータ』から「パターン処理装置の脳にとって、身体とそれ以外の世界はまったく変わらない。身体の末端とその先の世界の開始点は連続している。ところが、脳の内部には感覚がないので、新皮質は脳そのもののモデルをつくることができない。そのため、思考が身体から

  • Webディレクターに備わる危機察知のパターン認識: DESIGN IT! w/LOVE

    例えば、人工知能やロボットの目の研究で用いられる「パターン分類」という処理と、脳の中の新皮質がおこなっている処理との違いをホーキンスはこんな風に紹介してくれています。 コンピュータに物体を認識させるとき、研究者はふつう、「テンプレート」と呼ばれるものをつくる。それは、たとえば、カップの画像であったり、典型的なカップの形状を記憶したものであったりする。 このテンプレートを元にコンピュータにそれに合致するものを探させ、それに似た物体が見つかれば「カップを見つけた」なり、「これはカップです」なりとコンピュータに答えさせるのが、人工知能における「パターン分類」なのだそうです。 一方で、ホーキンスは「脳にこのようなテンプレートは存在しないし、新皮質の各領域が入力として受け取るパターンも、画像であることはない」という脳とコンピュータのパターン認識の処理の仕方を示した上で、こんなことを言っています。 人

  • 「心の社会」の社会 : 404 Blog Not Found

    2006年05月25日02:00 カテゴリValue 2.0書評/画評/品評 「心の社会」の社会 Essaさん、タイトルお見事。 The Society of Mind Marvin Minsky [邦訳:心の社会] アンカテ(Uncategorizable Blog) - 人工知能は人間不信でWeb 2.0は人間過信 世界Aの始末書: Web 2.0 と人工知能 この比較は面白い。 でも、文字通り美味いのはむしろこちらのタイトルか。 [間歇日記]世界Aの始末書: Web2.0 とSF ▼Web 2.0 is Made of People! (Ross Mayfield's Weblog September 26, 2005) http://ross.typepad.com/blog/2005/09/web_20_is_made_.html ぎゃははは、うまいっ! 「!」が効いてますね、「

    「心の社会」の社会 : 404 Blog Not Found
  • アンカテ(Uncategorizable Blog) - 人工知能は人間不信でWeb 2.0は人間過信

    世界Aの始末書: Web 2.0 と人工知能 この比較は面白い。それに、 バズワード的な熱狂とバブル狂騒曲 ルールベースからエージェント指向への流れ という二つの点で両者はよく似ている。そして、理論があいまいだから、バズワード的な商売に走る奴にとって使い勝手がいいという点で、この二つは関連していると思う。 でも、大きな違いもひとつある。 人工知能の推進者は、人間に対する不信感が強かった。定型業務がシステム化され、コンピュータにできることと同時にできないことがハッキリしてきた頃に、コンピュータによって人間を管理できる部分が意外と少ないことに幻滅していた人たちだ。彼らは、コンピュータによって人間を置き換えようとしていた。人間が信頼できない人たちだ。 Web2.0に熱狂している人たちは、そういうニュアンスの人間への不信は無いと思う。というか、むしろ、これを批判する人たちが「Web2.0の人は普通

    アンカテ(Uncategorizable Blog) - 人工知能は人間不信でWeb 2.0は人間過信
  • Web 2.0 と人工知能 - [間歇日記]世界Aの始末書

    いわゆる「Web 2.0」なるものに、なーんとなく既視感があるなあと思っていたんだが、おれなりに考えがカタチを取ったので書いてみる。 昨今の Web 1.0(なんて言いかたは、もちろん 2.0 なる言いかたが出てきてから遡及的に出たものだが)から 2.0 へのシフトの機運は、一九八〇年代の人工知能業界における流行の変転にとても雰囲気が似ているのだ。 そう、当時は“人工知能業界”としか言いようがないものがあったのである。人工知能の産業化と商業化が一気に進んだのが八〇年代だ。ま、人工知能が商売ネタとして脚光を浴びるようになったわけだ。なんでもかんでもAI、AIと言っていたバブルの時期である。当時ことさらAIアプリケーションなどと看板を掲げていた技術の多くはすっかり“浸透と拡散”が進み、いまではあたりまえの基盤技術としてあちこちに取り入れられていたりする。八〇年代の人工知能業界を思い起こすに、ア

    Web 2.0 と人工知能 - [間歇日記]世界Aの始末書
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