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数寄に関するgitanezのブックマーク (5)

  • どんなに拙い価値観でも、自分自身の価値観を育む努力を怠らないようにする: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分で爪弾くギターの音色、自分で作った料理の味、自分で描いた絵の出来ばえ。その音、その味、その色形を、自分自身で評価できなければ、それがうまくできたかどうかは判別できません。 音や味や色形がどうも自分の思った通りのものでなければ修正するし、なぜよくないかを考えてうまくやる方法を考えるのではないでしょうか。 自分の行為の結果としてのフィードバックを受け、人は自分の行為を反省し、その反省を次の行為のために活かすことができる。それはフィードバックを正しく評価する耳、舌、眼があって、はじめて可能になるループです。 言い換えれば、それは自分が何を求めていて、何のために行為を行っているかがわからなければ、自分自身の行為さえ評価ができないということでもあります。 結果の評価ができなければ

  • 方法依存症2: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 どうしたらいいかと思うようなことは、たぶん、どうもしなくていいことか、どうにもならないことなのだと思う。 逆に、どうにかしなくてはいけないことなのだとしたら、どうしたらいいかなどと考えているひまがあったら、とっととやったほうがいい。 どうも考えるということを誤解している人が多いのではないか? 実行のともなわない思考はただの時間の浪費でしかない、というのに。 思考即行動頭と身体がバラバラです。自分の身体を見失ってしまっています。 悪い頭にひっぱられて、優秀な身体まで来の能力をどんどん劣化させてしまっています。 当にわかりたければ、わかる前にいわれたとおりに自分でやってみて自分を事例にするしかありません。やってみて何も変わらなければわかっていないということですし、やってみて

  • 生活のなかで養われる物を見る眼: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 物を実際に使うことで、物を見る眼が研ぎ澄まされていく。 当たり前といえば当たり前のことですが、どうやらこれは機能面や使い勝手の面での批評眼だけにいえる話ではなくて、見た目での意匠・スタイリングの面での評価でもいえそうなことだなという気がしています。何かにこだわりをもって使用するなかで、よいと感じる意匠の幅が広がったり、評価する眼を変化させたり、そういう変化が生じる「使う」という行為と「見る」ということの関係というものを、あらためてきちんと捉えてみたいと考えるようになりました。 自分の生活・身体に密着した眼で物を見るそもそも人が「物を見る」という場合にも、どの程度の深さで見るのかという意味で、見方のレベルには違いがあると思います。「お金を払って購入するために見る」「お金を払っ

  • 自分がおもしろいと思うことをやって、もっと自分をアピールしましょう: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分のことを認めてもらいたい。それはすくなからず誰もがもっている欲求なんだろうなと思います。 「フラジャイル 弱さからの出発/松岡正剛」でも引用したように、利他的に思える他人へのサービスも来、もうすこし利己的な面をもっており、<ヒトは、こうした「ふるまい」を抜きにしては生活できないような社会進化をとげているのかもしれず、それを通して何かを伝播させ、授受してきたのだと考えるべき>なんだと思います。 「ふるまい」は自己の他者への自由をもたらしてきた。われわれはこれを社会生活における他人へのサービスだとおもいこんでいるけれど、そうではない。ヒトは、こうした「ふるまい」を抜きにしては生活できないような社会進化をとげているのかもしれず、それを通して何かを伝播させ、授受してきたのだと

  • リサーチ・マインド:みがき・きわめる・こころ:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 そこにリサーチ・マインドはあるのか? ここ数ヶ月間、僕の意識をそんな疑問がよぎることがときどきあります。 ここでいうリサーチ・マインドは、日語にすれば、探究心あるいは研究魂となります。また、リサーチはもちろんR&DのRの部分でもあります。 ものづくりにこころや魂がこもっているかが問われていいように、リサーチにも同じようにこころや魂が問われていいと僕は思っています。いや、問われるべきだろうと思います。 研究や調査というと、そんなもの何も社会の役に立つものを生み出さないじゃないかと考える人もいるでしょう。いや、そこまでいかなくても研究や調査から社会的に役立つものが生まれる確率はあまり高くないとか、それには時間がかかるとか感じている方がほとんどじゃないかと思います。 だったら、

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