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日本文化とlifehacksに関するgitanezのブックマーク (4)

  • おもしろいこと: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 おもしろいことやりてぇな。 オフィスの外の通路の片隅に設けられた喫煙スペースで、ニコニコしながら煙草をふかし、そう口癖のようにひとり言をつぶやいていたのは、前に勤めていた会社の社長でした。 僕は、その言葉をきくと、なんだか安心できたものです。 その言葉は何度も耳にしましたが、もちろん「おもしろいことってなんですか?」なんて野暮なことは訊ねたことはありません。訊いて答えの返ってくるようなことは、たぶん、耳にしてもおもしろくない気もしたからです。それよりも、その社長がおもしろいと思うことに協力できれば、と思えて、それが自分自身の仕事に対する安心につながったのだろうと思います。 おもしろいことをやりたい。 そのおなじ言葉をいまの会社の直属の上司の口からも耳にします。前の社長とおな

  • 自分は引き際の良さ、時機の見極めができてないなと感じる人のための3つの処方箋: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「自分は粘り強さ、継続性が足りないなと感じる人のための3つの処方箋」に続いて、こちらもご要望があったので、いい機会なので自分の考えをまとめてみようか、と。 引き際の見極めができるようになるための3つのポイントとはいえ、まずは「粘り強さ、継続性」がない人は「引き際の良さ、見極め」もできないんだと思うんですよね。つまり、タイミングが読めないんです。どこで引くか/引かずに続けるかというタイミングというものが見えない。なので、イヤになっちゃってやめるか、いつまでもグズグズ引き延ばすか、いずれかになってしまうのでしょう。 しかも、その時点で辞めやすければ辞めるし、辞めにくければ辞めないというだけ。いずれにしても、あんまり自分の意志じゃないんですね。引き際も継続性もあったもんじゃない。

  • 「自分っていったい何なんだろう?」っていう問いの立て方自体が間違ってる?: DESIGN IT! w/LOVE

    あー、なるほどなー、と思いました。 江戸が鎖国から始ったことも、これと深く関係している。鎖国は人の出入りを禁じたが、その理由は人が「情報のかたまり」だからである。情報は幕府が独占するものだったが、それは情報こそが社会制度だったからである。 ここでいう「これと深く関係している」の「これ」は、江戸期の封建制度が、農民は農民、武士武士という風に人を社会的に固定したことを指しています。農民は農民としてのイメージを、武士武士としてのイメージを社会における固定点として確立することで、それさえ守っていればあとの行動はどうでもいいという風にしたということです。 農民らしさ、武士らしささえ守れば社会的な役目は果たせるので、そうした社会においては自分らしさを問う必要はなくなる。自分探しもとうぜん必要ないわけです。 だって農民だもん。武士だもん。で社会的に十分通用するわけです。 個々人のなかで中身が日々変わ

  • 「自分探し」より大事なのは「もう一人の自分」をみつけること: DESIGN IT! w/LOVE

    ここでいう「我見」は舞台で舞う自分の目であり、もうひとつの「離見」とは舞台で舞う自分をみるもう一人の自分を指しています。 世阿弥はそういう二人の自分をもって能は大成するといい、これは「離見の見」といわれるものだそうです。 自分の心をコントロールするこの例を出しつつ、上田さんは<茶の湯もおなじだろう>と言っています。 茶の点前をする自分のほかに「もう一人の自分」がいて、茶の点前をする自分を見ている。そういう視線にたいして過ちのないように茶の点前をしなければならない。いわば主観性と客観性とをあわせもつ芸である。ということは、茶道という芸は自分の心をコントロールすることなのだ。自分の心が芸をコントロールすることではないのである。 この<自分の心をコントロールする>のであって、<自分の心が芸をコントロールすることではない>という一文にはやられました。 芸をコントロールしようとしてもダメなんですね。

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