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2008年2月19日のブックマーク (2件)

  • 「自分探し」より大事なのは「もう一人の自分」をみつけること: DESIGN IT! w/LOVE

    ここでいう「我見」は舞台で舞う自分の目であり、もうひとつの「離見」とは舞台で舞う自分をみるもう一人の自分を指しています。 世阿弥はそういう二人の自分をもって能は大成するといい、これは「離見の見」といわれるものだそうです。 自分の心をコントロールするこの例を出しつつ、上田さんは<茶の湯もおなじだろう>と言っています。 茶の点前をする自分のほかに「もう一人の自分」がいて、茶の点前をする自分を見ている。そういう視線にたいして過ちのないように茶の点前をしなければならない。いわば主観性と客観性とをあわせもつ芸である。ということは、茶道という芸は自分の心をコントロールすることなのだ。自分の心が芸をコントロールすることではないのである。 この<自分の心をコントロールする>のであって、<自分の心が芸をコントロールすることではない>という一文にはやられました。 芸をコントロールしようとしてもダメなんですね。

  • 梅の花: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 日で(春の)花といえば、桜なんでしょうけど、僕は桜より梅が好きです。 天皇の私的な在所であった内裏において、天皇元服や立太子、節会などの儀式が行われた正殿である紫宸殿の南庭には、現在、東に桜、西に橘が植えられていて、「左近の桜、右近の橘」と称されますが、松岡正剛さんによると、この「左近の桜」も当初、梅だったそうです。 梅が紅梅と白梅で一対になるという感覚は、すでに光琳の紅白梅図屏風を見ているわれわれにはなじみぶかい。 けれども古代では、梅は橘と組んで一対とされていた。紫宸殿に植えられたのは、もともとは左近の梅と右近の橘なのである。この一対が常世からの果実をもたらすものだったからで、それがいつしか左近の桜に替えられた。 「左近の梅」が「左近の桜」になったのは、ちょうど『古今