![Amazon.co.jp: 神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書): 宮元健次: 本](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d3f6184859ef5ce2d263e6e2c039a2e6acb0e156/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41kPoQ-GfEL._SL500_.jpg)
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 やっぱりね。そうだと思った。 西垣通さんの『情報学的転回―IT社会のゆくえ』を読んだのをきっかけに、東洋思想について勉強しようと思い、読み始めたのが鎌田東二さんの『神道とは何か―自然の霊性を感じて生きる』。 その中に僕の予想していたとおりの答えを見つけました。 その地域一帯を守り育む大地の生成力やエネルギーをため込み、円滑に流し循環させていくためのセンターでありツボが神社なのである。したがって神社において最も重要なのは、社殿などの建造物ではなく、その杜あるいは泉や木や岩を持つ場所そのものということになる。そこで、鎮守の杜の「杜」のほうが神社にとってより本質的な要素となる。 伊勢神宮や熱田神宮を訪れて感じたのは、その杜の生命力の凄さでした。 特に伊勢神宮の杜の自然の生命力は圧
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 西垣通さんの『情報学的転回―IT社会のゆくえ』をAmazonで買ったのは、実はもう1ヶ月も前のことです。 届いてすぐに読み始めたのですが、最初の30ページくらい読んで、イメージしてたのとは違うなと感じ、そこで読み進めるのをやめてました。 それが昨日、ふいに続きが読みたくなって一気に読了。 先週の伊勢神宮、昨日の熱田神宮への参拝で芽生えた問題意識と、この本で扱われている問題が交差しているような気がして、再び、手にとってみたのですが、その予想は当たっていたので一気に読み終えてしまったわけです。 ユダヤ=キリスト教的思想とインドの古代哲学の思想私の問題意識の一部は「インタラクション・デザイン:行動とフレーム」や「偶然とは何か/イーヴァル・エクランド」で、すでに書いている部分もあり
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